りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,004

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・東山文化の代表的庭園「竜安寺」!

「東山文化」との関係が深い庭園を紹介中です。「銀閣寺」に続き、この項では「竜安寺」を取り上げます。

「竜安寺」

「竜安寺」は京都市右京区にある、臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雪山。本尊は釈迦如来。寺暦は古く、藤原北家の流れを組む徳大寺実能の山荘であったものを、1450年に応仁の乱で有名な細川勝本が譲り受け、寺院としたのが始まりとされています。従って、開基は勝本となっています。開山(最初の住職)は義天玄承。ただし、応仁の乱後ですたれ、4代目の住職・特芳禅傑が1488年に再興し、現在に至っています。

「竜安寺庭園」については、「方丈庭園(通称・石庭)」があまりにも有名ですが、鏡容池を中心とした池泉回遊式庭園と、石庭の2つがあり、都名所図絵と言う、古い観光案内図のような資料を見ると、当初は池泉回遊式庭園のほうがメインであったようです。また、創建時の石庭が現在の姿に近いものであったのか不明点も残されています。1797年に消失していた「竜安寺・方丈(本堂)」を、西源院方丈を移設・再建したとする資料があり、この時、庭園も大改修が行われた可能性もあるからです。

このように「竜安寺庭園」には謎も多いのですが、作庭の経緯を考えると、石庭は当時としては超斬新な、現在に至る作品であった可能性もあります。理由は、1400年代後半に活躍した禅僧・般若房鉄船(完熙)と、同時代の芸術家・相阿弥(1525年没)の2人が作庭に関連していたとする説があるからです。

般若房は1488年の「竜安寺」再建後、同寺に留まったとされる高僧で、庭に超空間を再現したとしても不思議ではありません。相阿弥は絵画を軸とした総合芸術家で、単なる作庭家ではなく、これまた私たちが目にする石庭を、500年以上前に創ってたとしても違和感を感じさせないからです。

「竜安寺」の「方丈庭園」は幅22m×奥行10mの長方形。そこを土塀で囲み、白砂と石組みだけで異空間を創出しています。石組みには15個の石が使われ、5ヶ所に分け設置。デザインバランスだけを考えると、石組みが小さすぎると言った印象も受けます。ただ、だからこそ空間の広がりを感じさせると言った解釈も可能で、千差万別の論表があることも周知のとおり。

また、敷き詰められた白砂には帚目が付けてあり、白砂を大海・石組みを島(陸)とし、雄大な風景を表してるとするのが一般的ですが、真相は明らかではありません。筆者には、水墨画等にヒントを得た、心象風景(宇宙観)のように感じられるのですが・・・ また、石庭の石組に「虎の子落とし」と言う表現を使う場合もありますが、これも後世の俗説であることは言うまでもありません。

そこで本日の一口アドバイス。

「竜安寺の石庭は、般若房鉄船と相阿弥の壮大な宇宙観?」

(りょう)

 

 

 

 

 

「竜安寺」境内案内図

 

 

 

 

 

 

鏡容池(池泉回遊式庭園)

 

 

 

 

 

 

山門

 

 

 

 

 

 

方丈庭園(通称:石庭)

 

 

 

 

 

 

 

 

般若房鉄船