りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,007

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・戦国時代の定義と概略?

「室町時代」と同時代の庭園について検証しました。続いて、「戦国時代」と同時代の庭園について。まず、「戦国時代」とはいつからいつまでで、どのような時代であったかを確認しておきます。

実は、「戦国時代」は何年~何年までとする、と言う定義については諸説あります。最長では、1467年の応仁の乱~大坂夏の陣終了の1615年まで。最短では1493年の明応の乱~1568年の織田信長上洛まで。ただし、「戦国時代」を短く考える場合は、織田信長や豊臣秀吉の「安土桃山時代」、それ以降から「江戸時代」に至る前の「徳川家康」が政権を安定化させていく時代、と言った具合に分けているだけで、ここでは、長期説の応仁の乱~夏の陣終了までとしておきます。従って、足利8代将軍・義政後の「室町時代後期」≒「戦国時代前期」と言う事になります。

室町幕府は応仁の乱、明応の乱(足利9・10代将軍と細川氏・大内氏を巻き込んだ内部抗争)により完全に機能不全に至ります。当然のことながら、中央政府の実質的崩壊で、地方は勝手な動きを始め、下剋上の時代に突入し、その中で最も強い力を得た織田信長がほぼ全国を統一するまで、これが「戦国時代前期」と考えて良いでしょう。ただ、そこに至るまでの状況を詳しく説明するには、京都周辺(中央)と、各地方の動きを逐一分析する必要があります。それは、本題から遠く外れることになり、ここでは概略説明に留めます。

まず、京都周辺(中央)の動きですが、足利将軍は有名無実となり、細川・大内・三好氏などが勢力争いを演じ、一応三好長慶が実権を握ります。ただ、その力は弱く、信長の上洛を防げず、自然消滅のような形となります。地方勢力に中央勢力が屈したと解釈してよいでしょう。

一方地方では、守護大名(足利将軍任命の各地方統治者)、守護代、国人(国司)、その他の豪族などが、各地区で勢力争いを熾烈化させていきます。そして、多くの地域では守護が没落し、下剋上と言う言葉に代表されるように、戦国大名と呼ばれる新しい統治者が出現。その代表的存在が、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、大友宗麟、島津貴久、そして織田信長などです。その中で、織田信長が一歩優位に立ち、前述のように足利15代将軍・義昭を奉じると言う名目で1568年に上洛し、さらにその後義昭を追放し、一応の統一がなされ、戦国前期が終了します。

戦国中~後期は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の時代で、1600年の関ヶ原の戦い、1603年の徳川家康征夷大将軍就任(ここからが江戸時代とする説も有力)、1614~1615年の大坂夏の陣と時代が移り、完全終了と言う経緯を辿りますが、これは広く知られるところ。

では、このような戦乱の時代に、どのような文化が花開き、どのような庭園が造られたのでしょうか? 次項からはこの点について検証します。

そこで本日の一口アドバイス。

「室町幕府の実質的崩壊時代≒戦国前期。信長・秀吉・家康時代≒戦国後期」

(りょう)

 

 

 

 

 

足利10代将軍・義材(よしたね)

 

 

 

 

 

 

 

 

川中島の戦い(上杉謙信VS武田信玄)

 

 

 

 

関ヶ原の合戦(屏風)

 

 

 

 

大坂夏の陣(屏風)