りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,010

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・戦国前期の庭園「北畠氏館跡」!

戦国時代前期の庭園について言及中。この項では「一乗谷朝倉氏遺跡」に続き「北畠氏館跡」の庭を紹介します。

「北畠氏館跡庭園」

北畠氏は村上源氏の流れを汲むと言われる名門で、南北朝時代には後醍醐天皇を後押しし、同時代から伊勢地方に勢力を維持していました。北畠氏は国司であり公家大名と呼ばれていたことからも、当時の状況が想像出来ます。1569年に織田信長の進行を受け、姻戚関係など不利な和睦を結ぶことで滅亡は免れるものの勢力を失います。ただ、それまでは伊勢とその周辺は比較的安定したエリアであったと言う事。だからこそ、朝倉氏の遺跡同様、館・庭園等の、歴史的にも貴重な建造物を残すことが出来たのでしょう。

同遺跡は三重県津市にあり、現在は山城・霧山城跡と共に、室町・戦国期の遺跡として再建・保存されています。庭園部分は、園池と枯山水から構成されているとのこと。ただ、明確に分かれているのではなく、東西に池・水路が十字型に広がり、その周辺に石組などが配され、全体は米の字型となっています。また、池・水路の周辺には多数の大型石組が配されています。

同庭園は戦国時代前期(室町時代末期)を代表する武将庭園としても著名で、同系庭園の特色は池と豪壮な石組。林泉式庭園とも称されています。入り口付近の亀石、東側の九山八海と言われる岩群などにその特色が良く表れており、北畠氏の武将たちの好みが反映され、このような形態となったのでしょう。

なお、「北畠氏館跡」の遺跡は、「北畠神社」と隣接していますが、同神社は北畠顕能(きたばたけあきよし・1326?~1383年?)を祀った八幡神社で、江戸時代前期の1643年に創られました。

そこで本日の一口アドバイス。

「名門・北畠氏が造った戦国前期の武将庭園=北畠氏館跡庭園!」

(りょう)

 

 

 

 

 

北畠氏館跡庭園

 

 

 

 

 

庭園西側の池

 

 

 

 

 

庭園東側全景

 

 

 

 

 

庭園東側の豪壮な石組み

 

 

 

 

 

入り口付近の亀石