りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,013

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・戦国前期の庭園「阿波国分寺」!

「戦国時代後期(安土・桃山時代)」の庭園に移る前に、もう1つ「戦国時代前期」の作品を紹介しておきます。同時代の代名詞ともなる武将庭園ではなく、寺院庭園で希少であり、極めて重要な作品が抜けていたからです。その作品とは「阿波国分寺庭園」。

「阿波国分寺庭園」

「戦国時代前期」には、応仁の乱等で、京都とその周辺の名庭の大部分が消失。しかも、再建・新しい庭作りと言った余裕もなかった時代です。従って、現存するのは地方の名門大名の庭園が大半で、質的にも一部を除き今一つの感があります。日本庭園の受難時代でもあったわけです。

その様な背景の中で、「阿波国分寺庭園」は異彩を放つ貴重な存在です。同庭園は、徳島市国府町にあり、四国八十八箇所霊場の15番札所でもあります。現在の宗派は曹洞宗で、本尊は薬師如来。国分寺の名が示す通り寺暦は極めて古く、聖武天皇の命によって全国に配された寺院の1つ。当初は法相宗で、七堂伽藍を有する大寺院であったと伝えられていますが、その後多くの変遷があり現在に至っています。

庭園に関しては、現状のようなベースが造られたのは、おそらく16世紀の後半。豪壮な構成が、同時代の作風につながっているためです。ただ、1573~1592年の間に、長曾我部元親に攻められ焼失したとの記録があり、その事実からして1550~1570年頃の作庭と考えるのが妥当ではないでしょうか・・・

その後、1741年に、徳島藩主・蜂須賀家の命により、郡奉行・速水角五郎が復興役となり、吼山養師和尚が再建し、その時に宗派も曹洞宗となった言う記録があります。このため、現建築物は1741年当時のものがベースと考えるべきです。庭園もまたこの時に大改修が行われたとされています。ただ、巨大な石組み等を全面的に入れ替えたとは考えにくく、「戦国時代前期」の姿を偲ぶことは十分可能と考えるべきでしょう。

「阿波国分寺庭園」は、既に一部提示した通り、豪壮な構成が特色。庭園スペースは1900㎡に及び、池を中心とした池泉式庭園ですが、むしろ、本堂東側の巨石トンネル、各所の巨大な立石、枯滝組、などに注目が集まっています。巨石トンネルは中国の天生橋を模したもの、我国最大とも言われる立石など、多数の見どころを有しているからです。2003年には国の名勝にも指定され、今後より注目度がアップしていくのではないでしょうか?

そこで本日の一口アドバイス。

「豪壮さNO1。我が国最大の立石、天生橋を模したトンネル=阿波国分寺!」

(りょう)

 

 

 

 

阿波国分寺・山門

 

 

 

 

 

 

本堂と庭園

 

 

 

 

 

 

巨石トンネル(中国・天生橋を模したとも?)

 

 

 

 

 

 

 

 

境内案内図