りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,018

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・戦国後期の庭園「南禅寺金地院」!

「戦国後期(安土・桃山時代)」の代表的庭園を紹介中。この項では、「圓徳院」「三宝院」「二条城二の丸庭園」に続き「南禅寺金地院庭園」を取り上げます。

「南禅寺金地院庭園」

「南禅寺」の寺歴は古く鎌倉時代に遡ります。しかし、応仁の乱でほぼ完全に消失し、現在の骨格は1605年に再建されたものです。今回の対象となる「金地院(こんちいん)」は「南禅寺」の塔頭(たっちゅう)寺院で、14世紀末~15世紀初頭に創建されたと伝えられています。しかし、前述のように「南禅寺」と共に消失し、1605年に徳川家康により、本体と同時に再建されました。

「金地院」の所在地は、京都市左京区南禅寺町で、臨済宗南禅寺内の塔頭寺院(宗派は当然のことながら臨済宗南禅寺派)の一つと言う事になります。また、「金地院」は方丈(本堂)、八窓席(小堀遠州作の茶室)、東照宮(徳川家康を祀る建物、1628年造)、「金地院庭園」などから構成され、多くの国宝、重要文化財があります。庭園は勿論、「金地院」全体が、安土・桃山時代を代表する貴重な建造物であると言う事。

この項の主役である「金地院庭園」もまた、1605年頃に作庭された名庭で、「二条城二の丸庭園」とほぼ同時代の作品。しかも作庭者も同じ小堀遠州(ただし、資料により100%小堀遠州作と証明されている庭園は「金地院庭園」のみ)で、両者は類似性の多い、安土・桃山時代(あるいは江戸草創期)を代表する作品と言えるかもしれません。当然のことながら、国の特別名勝にも指定されています。また、直接の作庭者は「三宝院庭園」と同じ賢庭と伝えられており、監修・小堀遠州×監督・賢庭と言う当時の黄金コンビの作品でもあります。

同庭園は、別名・鶴亀の庭とも呼ばれ、庭園様式は枯山水。特色としては、洗練された全体のレイアウト、安土・桃山時代の特色を残す豪壮な景観、神仙思想・吉兆を重んじた構成・・・と言ったことを上げることが出来ます。方丈から見て、中心部に群仙島と呼ばれる蓬莱の石組みがあり、左に亀島、右に鶴島が配されており、シンプルな配置ゆえにより全体の安定感を増しています。また、全体の石組も大型でどっしりとしており、安土・桃山的スケールと戦国的豪壮な面影も残しています。

また、作庭当初とは異なるでしょうが、成長し良く管理された植栽がより庭の魅力を増しています。これらの植栽は、石組と共に、「金地院庭園」の魅力として高い評価を受けていますが、小堀遠州・賢庭には時と共に進化する庭と言った意図も当然あったと考えるべきでしょう・・・

そこで本日の一口アドバイス。

「小堀遠州×賢庭と言う黄金コンビが生み出した珠玉=金地院庭園!」

(りょう)

 

 

 

 

明智門(光秀由来の唐門だが、2代目)

 

 

 

金地院庭園パノラマ

 

 

 

 

 

中央部の郡仙島(蓬莱石)

 

 

 

 

 

亀島(向かって左側)

 

 

 

 

 

鶴島(向かって右側)

 

 

 

 

 

弁天池と滝

 

 

 

 

 

方丈と庭園西側

 

 

 

 

 

 

方丈内部(重要文化財)