りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,026

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭書「嵯峨流古法秘伝書」⑤!

この項では、「嵯峨流古法秘伝書」の、第20項目、第21項目、第22項目、第23項目、第24項目(最終項目)の5項目について検証します。

「嵯峨流古法秘伝書」⑤(最終回)・・・「植物の生息地」「石灯篭の置き方」「素晴らしい作品と駄作」「庭を見るポイント」「庭の寛大さ」

20:植物の生息地

植木の種類について述べる。栢(読=カエ、ハク、カヤ、等。常緑針葉樹の総称、葉の短い針葉樹、榧・カヤ、と言った意味がある。ここでは、榧の木を指すのではないか?)、楓、山梔子(クチナシ)は山に生えている木だ。俊櫚(どのような木か不明。シュロ?)、南天、槙(=槇・マキ)、柏、五葉松、芙蓉、銀杏、伊吹、黄梅(読=オウバイ。モクセイ科ソケイ属のツル性落葉低木。ジャスミンの仲間。中国原産で江戸時代に日本に入って来たとされる。従って、ここで言う「黄梅」は、梅の一種かあるいか蝋梅・ロウッバイのことか?)、躑躅(つつじ)などは島に生えている。椿、白檀、杉、柊樔(どのような木か不明だが、おそらくヒイラギのこと)、石南花(シャクナゲ)、椎などは岸辺や山に生えている。芝蘭(=フジバカマのこと)、紫苑(シオン)、菊、芍薬、石簬(ツワブキ)などは谷間に生えている。大本(=万年青根・マンネンセイコンのことか?)、丁子(チョウジ。ただし、チョウジは熱帯の木で、ここでは何を指すのか不明)、沈丁花、百合、藤の類は山路に生えている。

21:石灯篭の置き方

石灯篭を据える所は、作庭者の意図によって品種を選ぶこと。例えば、高さによる様々な使い分け方が伝えられている。それは、灯篭自体の寸尺(サイズ)の事では無く、庭の広い狭いによって、よく合うも物を選べと言う事。また、灯篭の灯(明かり)は泉や水によく写る。だから、柱の四角い灯篭の場合は、真正面に設置するのではなく、少し斜めにしておいた方が良い。

22:素晴らしい作品と駄作

古い時代の著名な作庭家達の作品には以下のようなものがある。文徳天皇の庭(山水)を作った、太政大臣・良房卿(藤原良房のこと。804~872年。藤原北家による摂関時代を築いた人物)の作品。宇多天皇が昌秦3年に出家された後、亭子院に移り住んだが、その時に作られた庭は寛平親王の作品である。白河院が住んでいた新宮の庭は、権代納言能信公の作品である。太政入道福原(平清盛)の新内裏の庭は、仁和寺菩薩院僧正心遍上の作品である。嵯峨天龍寺と西芳寺は夢窓国師(疎石)の作品である。その他にも、古来からの貴人や高位の人が作った庭が多数ある。

そのような人々の依頼を受けて、実際に庭作りの作業に従事したのが河原者(当時の庭職人は一般人より身分が低い階級の人であり、彼等を「河原者」と呼んだ。そして優れた技能者を「山水河原者」と言った)であった。しかしながら、彼ら(河原者)は、技能を磨き、田舎(地方)へ行き、庭作りの技法を広めたなどと言う事はない。

田舎の人々の庭は河原者の作品と考えることは間違いだ。何故なら、河原者の内典外典(伝え)から分かるが、彼らの作品はより深く高度なものであるからだ。仮に、田舎に庭があったとしても、それは、高貴な人が地方に行って作ったものでもない。ただ、河原者の(都で習得した)技術を真似ただけで、本当の技術や様式を知らなかった。それら(地方)の庭は、何れも正しい様式知らず、石を組、木を植えただけのものだ。(勝手に)善悪を批判し、語っているに過ぎない。是非もない戯言に過ぎない。そんなものは広く伝えるものではない。俗世界のことを天上に持ち込むようなものだ。本当に素晴らしい作庭様式というものはそのようなものではない。よく心得ること。

23:庭を見るポイント

庭を見には先に示すようなポイントがある。まず、客人として見るときは、客島に手をかけ、石の前の裾に右手をついて、扨(サテ・接続詞)主人石の前に左手をついて(一呼吸おいて、左手を主人石につく・・・と言った意味か?)、何となしに見る。また、礼拝石に右手をつき、中島より守護石を見、それから滝口など次第に観終わる。さらに、客人石に左手をついた後に退く。

24:庭の寛大さ

庭は諸仏の影が向かう蓮台のようなもの。だからこそ、いずれの悪い方向に作っても構わない。庭は様々な状況を守護するもの。だから、不浄な部分があっても良い。そんな時は、地神様を祭り吉祥を呼び込めば良い。だからと言って、庭作りの方式も知らず、ただ当てずっぽうで、石組を設置したり、木を植えたりすれば、守護とはならない。この点を良く心得ておくこと。(了)

そこで本日の一口アドバイス。

「山水河原者の素晴らしさ≒正しい庭と正しくない庭???」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

藤原良房