りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,053

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・小堀遠州の作品「本門寺松濤園」!

この項では「小堀遠州」作品「池上本門寺松濤園」を取り上げます。そしてこれで、「遠州」作品紹介の最後とします。

「池上本門寺(いけがみほんもんじ)」は、「浅草寺」程ではありませんが、沢山の人が訪れる、現役バリバリの寺院です。所在地は、東京都大田区池上で、日蓮宗の大本山。山号は長栄山。上記を見てもわかる通り、日蓮上人と深いかかわりを持つ寺院です。具体的には、病身の日蓮が1283年に湯治のため常陸国(現在の茨城県)に向かう途中、同地の池上宗仲(鎌倉時代の武士)館に立ち寄り、同氏館内の山頂にあった建物を供養し、「長栄山本門寺」と命名したことがスタートと伝えられています。同年10月に日蓮は没し、供養のため池上氏は69,384坪(法華経69.384文字に合わせた広さ)を寺領として提供。これがベースとなり、現在のような大寺が出来上がりました。

その「池上本門寺」の旧本坊の奥庭が「松濤園」。「小堀遠州」の作と伝えられる、4,000坪に及ぶ池泉回遊式庭園です。また、回遊して楽しむだけではなく、旧本坊客殿から渓谷美を俯瞰できるようになっており、座式観賞庭園的側面も持っています。また、1991年には宗仲没後700年事業として、大改修が行われ、落慶法要も営まれています。

「松濤園」は茶道との関連が深く、3つの茶室(根庵、鈍庵、浄庵)と、1つの東屋(松月亭)が設置されています。根庵、鈍庵は陶芸家・大野鈍阿(おおのどんな、1885~1951年)の住まいを、茶道の裏千家から寄贈され移築したもの。また、松月亭は床几等を使うと60名程度が収容でき、現在も茶会・休憩所等に使われています。3つ目の茶室・浄庵は江戸城明け渡し交渉で有名な、西郷隆盛・勝海舟会談に使われた跡に、国賓などの接待場所として使うために造られました。つまり、茶室は全て大正期以降の後代のもので、「小堀遠州」の面影をどこまで残しているか不明です。

また、現在の「松濤園」は朗峰(ろうほう)会館(会館内に「レストラン花むら」がある)からの観賞用庭園にもなっています。ただし、通常時は非公開で中に入ることは出来ません。

以上で分かる通り、「松濤園」は現代に生きるスケールの大きな名庭でもあります。ただし、変化し続けているだけに、「遠州」イズムがどこまで残されているか、甚だ疑問です。

そこで本日の一口アドバイス。

「茶道家遠州色の強い庭園・松濤園。ただし、現在の茶室は後代の作品」

(りょう)

 

 

 

 

 

池上本門寺大堂(祖師堂)

 

 

 

 

 

 

池上本門寺総門

 

 

 

 

 

松濤園・平面イラスト

 

 

 

 

 

 

松濤園

 

 

 

 

 

 

松濤園・亀島