りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,062

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・石川丈山の世界と作品②!

前項では「石川丈山」とはどのような人物であるかについて検証しました。続いて、彼の作品を紹介。この項では「詩仙堂」を取り上げます。

「詩仙堂」は「石川丈山」が芸術三昧の生活を送るようになり、かつ晩年を過ごした山荘です。所在地は、京都市左京区一乗寺で、現在は曹洞宗の寺院となっています。山号は六六山で、正式名は「六六山 詩仙堂 丈山寺 凹凸窟(ろくろくさん しせんどう じょうざんじ おうとつか」となり、とても覚えられそうにありません。

「石川丈山」は59歳(1641年)から90歳で没するまで(1672年)の30年超、つまり京都暮らしのほぼ全期間を「詩仙堂」で過ごしました。従って、彼の生き様、芸術的視点、理想とするもの等、すべてを語る代表作と言えます。ちなみに、そこには、林羅山の意見も取り入れ、中国詩人36人を選び、当時最高の画家と称された狩野探幽にその肖像画を描かせました。つまり、36人の詩仙が描かれている堂と言うことになり「詩仙堂」と命名された訳です。

「詩仙堂」は、入り口として小有門があります。それをくぐると竹林があり、その中の小道を進みます。さらに、石段がありその上に2つ目の門・老梅関があり「詩仙堂」内に足を踏み入れることになります。つまり、小さく目立たない門・道をへて道内に入るという構成。この段階ですでに「丈山」の居住空間に対する考え方が明確に示されているのではないでしょうか。凹凸窟と言う呼称も、勿論このような地形・敷地構成を反映したものです。

「詩仙堂」内のメイン建造物は「嘯月楼」で、名前の通り3階建ての楼が中心にあります。その右手(西側)には仏間・6畳間・8畳間、左手(東側)には4.5畳の詩仙の間・それに読書の間など、多数の部屋があります。ただし、「丈山」当時の建造物は嘯月楼・詩仙の間だけで、他は後世の物です。

庭園も「石川丈山」の設計によるもの。ただし、安土・桃山〜江戸草創期の他の作品とは、趣がかなり異なります。武家イメージが殆どなく、あくまでも芸術家が作った庭、平和な時代の庭と言うイメージが強いからです。従って、豪壮な石組み、宗教的要素を感じるものは殆どありません。

その一方で、優美で計算された植栽、それに伴う花・緑・紅葉等の四季を楽しむ演出、閑静な自然を活かした各種工夫など、別の魅力を持っています。特に、添水(そうず)と呼ばれる、水を使ったししおどしなどを庭園演出に加えるなど、自然との共生と、静寂の中の1シーンを楽しむといった、江戸中期以降に通じる日本庭園の変化がそこにみられます。

当然のことながら、「詩仙堂庭園」は後の「大名庭園」にも大きな影響を及ぼしたことでしょう。ただ、「石川丈山」自身は、そのような巨大性・総合性・庶民性と言った視点には反発していたのではないでしょうか。浮世とは一線を画する芸術至上主義、もっとあからさまに言えば、俺は一般人とは違うと言う「エエカッコシイ」的こだわりを色濃く感じるからです。

そこで本日の一口アドバイス。

「石川丈山がこだわり抜いた詩仙堂。芸術至上主義的発想も・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

小有洞(入り口)

 

 

 

 

 

 

 

老梅関(石段上の門)

 

 

 

 

 

 

 

嘯月楼

 

 

 

 

 

 

屋内からの「詩仙堂庭園 」パノラマ

 

 

 

 

 

 

 

嘯月楼遠景