りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,077

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「芝離宮恩賜庭園」の過去・現在?

江戸時代前期の「大名庭園」を紹介中。「旧浜離宮恩賜庭園」に続き、この項では「旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)」を紹介します。

まず、「芝離宮」と「芝離宮恩賜庭園」の歴史を簡単に辿っておきます。同離宮は東京都港区海岸にある都立公園で、老中・大久保忠朝の上屋敷が起源となっています。大久保忠朝は1678年に同地を拝領し屋敷を構え、1686年に庭園「楽寿園」を造ったとされ、これが「芝離宮恩賜庭園」の原型となりました。つまり、江戸時代前期を1603年〜元禄時代頃まで(1700年前後)までの約100年間とするなら、同期後半に作庭された庭園と言えます。ただし、当時はまだ本格的な「大名庭園」は少なく、初期の代表的大名庭園とも言えるでしょう。

その後「芝離宮」は、大久保家〜堀田家〜清水家〜紀州徳川家(芝屋敷)〜有栖川家〜英照皇太后(明治天皇嫡母・実母ではない)と主が移り、1876年(明治9年)に「芝離宮」となります。さらに、1891年に迎賓館となるが、関東大震災(1923年)に建物が崩壊し、庭園だけが残ります。さらに翌年の、1924年に昭和天皇ご成婚を記念し東京市(現東京都)に下賜され、園地を整備し「旧芝離宮恩賜庭園」として公開され、現在に至っています。

同庭園の面積(開園面積)は約43,000㎡)で、池泉回遊式庭園(案内図参照)。中央に大きな池があり、園路、中島、2つの橋等で2分され、北川の湖は中国・西湖(さいこ)を模して造られました。

現在の入り口から園内を辿ると、敷石沿いに歩くと大きな雪見灯篭があり、そこから中島(蓬莱島)等が眺めます。さらに、大山(築山)がありそれを上ると、庭園全体を見ることが可能。また隣接した枯滝と遺水(いみず)風の石組みがあり、山峡風の景観を楽しむことができます。

さらに西湖の堤と言う湖岸を進むと、園路・中島(蓬莱の石組みがある)・西湖堤・木橋等で湖が分けられ、中島から西湖を模した北側の湖と背景の沿岸風景、南側の湖とその沿岸風景を楽しむことができます。また、南側の湖にも2つの石橋、4本の石柱(熊野信仰に関するものとされるが意味不明。違和感も・・・)などがあり、散策の目を楽しませてくれます。

「旧芝離宮恩賜庭園」は、「旧浜離宮恩賜庭園」と比較すると、より江戸時代前期「大名庭園」の面影を留めていると推定されます。それでも、時代の変遷は大きく、各時代の歴史を辿ることは困難ですが、交通至便で手軽に江戸時代の庭江を楽しめ、かつくつろぎの時間を与えてくれる貴重な存在であることは間違いありません。

そこで本日の一口アドバイス。

「老中・大久保忠朝の楽寿園がベース=旧芝離宮恩賜庭園!」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧芝離宮恩賜庭園 」案内図

 

 

 

 

 

 

北側の湖(西湖風)と中島

 

 

 

 

 

 

 

 

雪見灯篭

 

 

 

 

 

 

枯滝とその周辺の石組み

洲浜から大山をの眺む

 

 

 

 

 

 

西湖堤

 

 

 

 

 

 

4本の石柱