「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,085
「日本庭園と日本外構 編」・・・讃岐・高松藩と「栗林公園」②!
引き続き「栗林公園」について。この項では、現在の「栗林公園」とはどのようなものであるかを確認します。
「栗林公園」は前述のごとく、豪族の佐藤氏に端を発し、高松藩各藩主(生駒氏&松平氏)による作庭、明治以降は公共スペースとしての進化など、400年以上に渡り作り続けられた名庭です。しかも、「大名庭園」ではありますが、城内庭園、あるいはその付帯物ではなく、独立した庭園(別邸)として発展を遂げてきました。つまり、讃岐国統治(あるいは、四国統治)の政治拠点とは一線を画した、一大文化ゾーンの役割を果たしていたと見るべきでしょう。
「栗林公園」は香川県高松市にあり、高松城の北約3キロの地点に位置します。総面積は72万㎡で、日本三大名園の1つ「兼六園」(紹介済み)の12万㎡弱と比較しても、いかにその規模が大きいかが分かります。また、ミシュラン観光ガイドでは、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)に続き、日本の名庭3位を獲得しています。外国人から見たこの評価は、ある意味新鮮ともいえるでしょう。
「栗林公園」の庭園様式は勿論池泉回遊式。基本特性としては、紫雲山が借景となりより美しい景観を創り出している、6つの池と13の築山が巧みに配された巨大庭園、日本庭園の良さを徹底追及した南庭と、準洋式とも言える北庭に大別される・・・などをあげることができます。
また、「栗林公園」と言う名称は、昔北門付近に栗林があったため。ただし、作庭当初から植栽は松が主役であったようで、松林公園としたほうが適切であったかも? ただ、他の庭園と異なり、城主や文化人が考えた難解な名称ではなく、庶民的な園名が付いていること自体「栗林公園」とはどのような存在であったかを象徴しているように思います。同時に、日本庭園と言う固定観念だけではなく、実際に鑑賞し、あるいは遊び、素晴らしいと感じればそれでOK。そのような意思を強く感じます。
最後に、明治以降の「栗林公園」の歩みを簡単に列記しておきます。1875年:県立公園として一般公開、1922年:国の名勝に指定、1929年:栗林動物園開園、1930年:動物園内にプール竣工、1947年:商工奨励館で四国産業復興展開催、1949年:観光高松大博覧会開催、1953年:国の特別名勝に指定、1957年:園内に民芸館開館、2002年:動物園閉園、2004年:動物園閉鎖撤去
つまり栗林庭園ではなく「栗林公園」の方が相応しい、名庭+庶民のスペースであると言う事。ちなみに、近年の年間来園者数は60万人を超えています。
そこで本日の一口アドバイス。
「庭園と言うより公園と言う名前が適切! それが栗林公園!」
(りょう)
西湖
南湖
扶養沼北岸
根上五葉松
御手植松
偃月橋
赤壁
桶樋滝
掬月亭
日暮亭