りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,087

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・薩摩藩が造った「仙巌園」!

戦国時代前期の「大名庭園」、この項では薩摩藩の「仙巌園」を取り上げます。

まず、薩摩藩について簡単に説明しておきます。同藩の領主・島津氏は地方豪族で、鎌倉時代に同幕府より守護に任じられました。その後、戦国大名としても勢力を維持。しかし、豊臣秀吉の九州征伐で屈服し、薩摩・大隅・日向(宮崎)の一部(事実上沖縄を含む)の継続支配を許されます。

関ヶ原の合戦(1600年)では西軍につきますが、日本最南端と言う地の利、統治実力等が影響したのでしょう、徳川氏の重鎮(四天王)・井伊直政のとりなしで本領安堵され、そのまま藩主となり、77万石と言う加賀藩・前田氏に次ぐ外様系大大名となります。その後、幕末には倒幕の主役藩〜明治維新の牽引車となったことは周知の通り。

従って、島津氏の系譜を見ると、18代当主・島津家久が薩摩藩初代藩主となり、12代藩主(29代当主)・島津忠義の時代にその幕を下ろします。なお名君として有名な11代藩主・島津斉彬の後、内外政で物議を呼んだ島津久光は、同藩の最高実力者でしたが薩摩藩主ではありません。

本題の「仙巌園(せんがんえん)」は第2代藩主(19代当主)・島津光久が造った庭園(別邸)で、1658年(万治元年)築(ただし、この段階でどの程度まで完成していたかは不明)。最大の特色は、錦江湾に面した海浜庭園で同湾と桜島をその景観に取り入れている(借景というより、海と桜島観賞が目的の一つと表現したほうがよい)点。また、約5万㎡と言う広大な庭園だが、平地部が多く池が比較的小さいこともポイントの一つで、他の「大名庭園」とは少し様相が異なります。従って、池泉回遊式庭園と言うよりは、大規模な回遊式庭園で、主要建造物付近に池泉観賞式庭園がセットされていると表現したほうが適切でしょう。

「仙巌園」は薩摩の地にふさわしく、中国文化の影響も大きいと言われており、当然のことながら多くのフォーカルポイントを持っています。まず、別邸の主要建造物である御殿+その周辺建築物と、そこから鑑賞する池泉式庭園。その他では、重厚な正門、赤く塗られた錫門、巨大さと奇抜さが際立つ獅子乗大石灯篭、特に屋根部分の奇抜さが目立つ鶴灯篭、等がとくに有名です。

なお、薩摩藩の拠点鶴丸城跡(あるいは城と隣接した城山)から見ると、「仙巌園」は北東約5〜6㎞の位置にあり、別邸という名の通り、城に付随する庭園ではありません。やはり、同園は政治とは別の一大文化拠点となっていたのでしょうか・・・

そこで本日の一口アドバイス。

「錦江湾・桜島と切っても切れぬ関係にある海浜庭園=仙巌園!」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

薩摩藩の鶴丸城址

 

 

 

 

仙巌園全景

 

 

 

 

 

正門

 

 

 

 

 

磯御殿

 

 

 

 

 

磯御殿付近の池泉観賞式庭園

 

 

 

 

 

獅子乗大石灯篭

 

 

 

 

 

鶴灯篭