りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,088

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・水戸家ゆかりの「小石川後楽園」!

北(東)〜南(西)の順に江戸時代前期の「大名庭園」を紹介して来ました。そして、鹿児島「仙巌園」で一応目的を終える予定でした。ただ、紹介の途中で追加したほうがよいと思われる作品が見つかりましたので、その対象となる2つの庭園を加えておきます。「小石川後楽園」(東京都)と「楽山園」(群馬県)です。まずは「小石川後楽園」から。

「小石川後楽園」(注:日本三大名園の「後楽園」とは別)は東京都文京区にある都立庭園です。ただし、その歴史は古く、水戸家初代藩主・徳川頼房まで遡ることが出来ます。従って、江戸時代前期の「大名庭園」に加えるべき作品です。

徳川頼房とは家康の12男で、1609年に水戸藩主の任に付き、ここから後に御三家のひとつと称される水戸家の歴史が始まります。そして「小石川後楽園」とは水戸家江戸屋敷に造られた庭園で、前述のごとく頼房の時代(1629年作庭と伝えられる)に、京都の作庭家・徳大寺左兵衛に命じて造らせたとの事。ただし、徳大寺某がどのような人物であるのか、少なくとも一般的資料では記述が無く(「小石川後楽園」を作庭したと言う以外の記録が殆どない)不明です。

「後楽園」と言う名称は、頼房の嫡男・水戸光圀(2代目藩主、水戸黄門様のモデル)が同園を改修した時に、明の儒学者・朱舜水の意見を取り入れ付けたとされており、中国の文献「岳陽楼記」の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から引用したもの(岡山の「後楽園」と同じ引用だが「小石川後楽園」の方が作庭時期が早く、光圀の知恵を借りての命名か・・・)。超一流の文人・学者でもあった光圀らしい命名とも言えます。

「小石川後楽園」は7万㎡以上の敷地を持つ大庭園で、大泉水と言う池を中心とした池泉回遊式。ただし、園名だけではなく、作庭においても朱舜水の意見が取り入れられたと言われており、中国的・儒教的趣好を強く感じさせます。特に、大泉水に浮かぶ蓬莱島と大徳寺石の組み合わせは有名で、同園最高のフォーカルポイントになっています。

ただし、大庭園であるだけに、周辺の小池、水路等の各所にも多数の見所(案内図・写真参照)があり、四季を通じて来庭者を楽しませてくれます。特に、小廬山(丸い築山で中国の廬山を模しているためこの名前が付いた)、円月橋(朱舜水設計と伝えられる中国風の橋)、内庭(水戸藩書院に付随した独立した元私庭。ただし、仕切っていた唐門・塀・そして書院は現在存在しない)などが著名。また、現在は都立の庭園となっているだけに、季節ごとに楽しめる身近な憩いの場にもなっています。

そこで本日の一口アドバイス。

「頼房・光圀・朱舜水の想いが詰まった大庭園。それが小石川後楽園!」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内図

 

 

 

 

 

 

小石川後楽園全景

パノラマ

 

 

 

 

 

大泉水と大徳寺石

 

 

 

 

 

円月橋

 

 

 

 

 

小廬山

 

 

 

 

 

内庭

 

 

 

 

 

 

梅園