「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,099
「日本庭園と日本外構 編」・・・丸亀藩と「中津万象園」とは?
江戸時代中期の「大名庭園」を紹介中です。この項では丸亀藩が造った「中津万象園」を取り上げます。
「中津万象園」は香川県丸亀市中津町にある、丸亀藩が造った「大名庭園」。ここでは、江戸時代中期の作品に組み入れましたが、前期〜中期作庭としたほうが適切かもしれません。
「丸亀藩」「丸亀城」と言ってもピンとこない方も多いと思いますので、まずその説明をしておきます。同藩は織田信長の側室(実質的正室)・吉乃の実家生駒家が高松・丸亀地区の領主となった時点からのスタートとなります。そして「丸亀城」も生駒氏が1597年に築城を開始しその元を築きます。ただし、その後も藩主が入れ替わり、伊予西条藩・大洲藩・今治藩の分割統治時代を経て、1641年には西讃岐だけの統治者として山崎家治が入封。しかし、その山崎氏も1658年に改易となり、播磨龍野の京極高和が藩主となり、以後京極氏が江戸時代が終わるまで政務を執ります。
一方、「丸亀城」は前述の通り生駒氏がその元を築きます。しかし、現在に通じる城郭を整備したのは山崎氏で1642年にその骨格が固まったとの事。ただし、メインの天守閣は1660年に京極氏が造ったもので、山崎・京極両氏の合作とするのが正しいでしょう。
本題となる「中津万象園(なかつばんしょうえん)」は藩主・京極高豊が1688年に造らせた「大名庭園」でその面積は約50,000㎡。城の西約3㎞の海浜にある池泉回遊式庭園で、京極氏の故郷となる滋賀県・琵琶湖八景を組み込んでいる点が最大の特性。このため、池の中に複数の島が配され、その島を橋で結び、回遊しながら多くのフォーカルポイントを満喫すると言った構成となっています。
具体的には、園内最大の橋・邀月橋(きょうげつきょう)、池と橋(邀月橋とは別)の中に浮かぶ観潮楼、前庭にある大傘松、母屋・魚楽亭・筆海亭・松帆亭等の建物、大傘松との関係が深い松寿門(くぐると長生きすると伝えられる)などが園内に配され目を楽しませてくれます。なお、「万象園」とは森羅万象と言う熟語に由来し「全てのものがそこにある」と言った意味が込められています。
現在の「万象園」は丸亀美術館と併設されており、「丸亀城」と共に同地区の重要な観光拠点となっていると同時に、歴史と文化情報発信の最重要エリアにもなっています。
そこで本日の一口アドバイス。
「京極氏が故郷の琵琶湖に思いをはせた庭園。それが、万象園!」
(りょう)
万象園略図
丸亀城全景
丸亀城御殿表門
万象園 邀月橋
飛石
観月楼とその周辺風景
観月楼
母屋
千代の傘松
万象園全景