りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,100

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・江戸中期の文化&外構・ガーデン?

「江戸時代中期」の外構・庭園について検証しました。しかし、その流れや特性を掴むには非常に困難です。逆に言えば、流れ・特性を掴むことが困難と言うこと自体が、「江戸時代中期」の特性と言えるかもしれません。何故でしょうか?

もう一度、「江戸時代中期」を振り返ります。政治面では、平和で安定した時代でした。しかし、幕府・各藩・武士・農民が次第に疲弊して行きます。その一方で、実質的には貨幣経済時代となり、商工業が発達し社会の歪も顕著になります。結果、徳川慶喜の享保(1716〜1735年)、松平定信の寛政の改革(1787〜1793年)などが実施され、農業重視+緊縮主義が打ち出されました。

文化面を観ると、絵画の世界では丸山応挙、与謝蕪村、伊藤若冲などが活躍。その一方で歌舞伎、浮世絵と言った町人文化も定着し、浮世絵の世界では東錦絵と言う分野も確立されます。その一方で、流派・家元制度なども定着し、個人の活躍や工夫が見られなくなった分野も目立ちます。

つまり、社会・政治的には閉塞感が付きまとった時代と言うことが出来ます。文化・芸術の世界でも、全体の流れとしては、絵画などで部分的活躍は見られますが、画期的な変化が見られなかった時代と見てよいでしょう。平和・安定・閉塞感・没個性化・団体優先、そんな単語が頭に浮かびます。平成の世とどこか似ている時代かもしれません。

本題の庭園・外構に目を転じても、よく似た傾向が見られます。そして、3大特性として、「スターの不在」「注目作品の激減」「没個性化」を上げることが出来ます。

「スター(作庭家)不在」は特に深刻です。「江戸時代中期」の作品には、作庭者の名前が殆ど登場しません。また、一部固有名詞が登場しても、その足跡をたどることは出来ません。これは、前期との決定的な差ともいえます。

「注目作品不在」に関しては、異議を唱える人もあるでしょう。「六義園」「後楽園(岡山)」など、日本を代表する庭園も造られているからです。しかし、いずれも元禄時代と関係する「江戸時代前期〜中期」の作品です。つまり、前期の余波が残っていた時のもので、それ以降は小粒な作品ばかりが目立ちます。資金難の時代で、贅を尽くした庭園を造るのは困難であったでしょう。しかし、作庭者の気概に満ちた画期的作品も殆どありません。

「没個性化」もさらに顕著になります。鹿児島・知覧の庭園群には個性的なものもありますが(ただし、ローカル色が強い)、全体的には「いわゆる日本庭園」と言った作品が目立ちます。遠州流を引き継いだ作品と言われるものもかなりあります。しかし、この頃の遠州流に、少なくとも筆者は殆ど魅力を感じることが出来ません。

「没個性化」の兆候は、室町〜戦国時代の作庭書「嵯峨流古法秘伝書」「山水並野形図」に既に見られました。利権主義〜流派・家元的発想が、時代背景だけではなく、作庭家の活力をより奪った、そう思えてなりません。なお、この点については、「江戸時代後期」の検証を終えた後、「江戸時代の作庭書」を分析することで、真相に迫りたいと思います。

そこで本日の一口アドバイス。

「活力と個性を奪われた江戸時代中期の社会・文化・芸術、そして庭園?」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

伊藤若冲:紫陽花双子鶏図

 

 

 

 

 

 

 

 

丸山応挙: 雪松図屏風

 

 

 

 

 

 

 

 

与謝蕪村:鳶鴉図

 

 

 

 

 

 

 

 

菱川師宣:見返美人図