りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,104

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・太山寺の3つの塔頭とその庭園!

江戸時代後期の庭園・外構を紹介中。この項では「太山寺」の3つの塔頭寺院、「成就院」「歓喜院」「案養院」に付随する庭園を取り上げます。ただし、「成就院庭園」と「歓喜院庭園」は江戸時代後期の作ですが、「安養院庭園」は安土・桃山時代の作です。

「太山寺(たいさんじ)」は神戸市西区伊川谷前開224にある同県屈指の古刹の一つです。宗派は天台宗、本尊は薬師如来と十一面観音、開基は藤原宇合(ふじわらのうまかい、不比等の3男)。

当然、寺歴も古く、藤原鎌足の孫・藤原宇合が716年に堂塔伽藍を同地に建立したのが起源とされています。ただし、1285年に焼失し、現在の建造物はそれ以降の物。特に、本堂(国宝)は1300年前後に再建されたもので、鎌倉時代の寺院建築様式を現代に伝える貴重な存在となっています。また、「太山寺」の伽藍は、仁王門、中門、本堂、阿弥陀堂、三重塔、護摩堂、観音堂、釈迦堂、羅漢堂、稲荷舎、地蔵尊、鐘楼、それに奥の院の建造物などがあり、中世以前の巨大寺院の面影を留めています。この他、「太山寺」には「安養院」「成就院」「龍象院」「遍照院」「歓喜院」と言う5つの塔頭寺院があり、そこに注目すべき庭園が造られていることは前述のとおり。

今回は、江戸時代後期の庭園が主テーマであり、「成就院庭園」と「歓喜院庭園」を先に紹介。成就院庭園」は文化年間(1804〜1814年)の作とされています。作庭者は天一と伝えられていますが、天一がどのような人物であったのかは一般的資料では特定できません。同庭園は三身山の原生林と阿弥陀堂を借景とした、枯池と築山を基本構成に組み入れたもので、様式的には枯山水と言うことに成ります。また、三尊石・礼拝石などが配され、江戸時代の庭園様式の一端がそこに見られます。

「歓喜院庭園」も三身山と阿弥陀堂を借景とした枯山水式の庭園で、作庭者も同様(天一)。作庭年代もほぼ同じで、「成就院庭園」と前後して造られたと見てよいでしょう。

一方、「安養院庭園」は安土・桃山時代の作。書院前に造られた枯山水式ですが、仏教寺院の庭園でありながら、蓬莱・神仙思想の影響が色濃く見受けられます。また、同時代特有の豪壮な石組みが特徴で、大型の蓬莱石、石橋、それに洞窟石組みなどが配されています。武将式庭園の名残を留めた庭と言う事も出来るでしょう。

「太山寺」の塔頭庭園を見ると、個々の庭の味わいに加え、戦国・安土・桃山〜江戸時代後期の日本庭園の様式変化を身近に体現できます。そして、あなたの好みは・・・

そこで本日の一口アドバイス。

「江戸時代後期と安土・桃山時代の庭園変化・・・それを直接体現・太山寺!」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

太山寺本堂(国宝)

 

 

 

 

 

太山寺仁王門

 

 

 

 

 

 

 

 

参道(成就院・安養院付近)

 

 

 

 

 

 

成就院・表門

 

 

 

 

 

成就院・前庭

 

 

 

 

 

 

成就院・枯山水庭園

 

 

 

 

 

 

歓喜院・枯山水庭園

 

 

 

 

 

安養院・枯山水庭園

 

 

 

 

 

 

 

 

案養院・洞窟石組