りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,105

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・高知の古刹「竹林寺」とその庭園!

「江戸時代後期」の庭園を紹介中。この項では、高知市の古刹・「竹林寺」とその庭園を取り上げます。

「竹林寺」は高知市五台山にある真言宗智山派の寺院で、山号は五台山、院号は金色院。従って、正式名称は五台山金色院竹林寺となります。本尊は文殊菩薩で、日本三大文殊寺院の一つとも。また、四国88ヶ所霊場の31番目の札所にもなっています。

「竹林寺」の寺歴は古く、聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に逢ったという夢に端を発しているとの事。そして、高僧・行基に五台山に似た地を探すように命じて、同地に文殊菩薩を刻み山上に堂を造り安置したのがスタートとなっています。その後、806〜810年に空海が滞在し、同寺を修復しここで修業したとも伝えられています。

「竹林寺」の伽藍は、山門、本堂(文殊堂)、太子堂、五重塔、客殿、方丈庭園、聖天堂、稲荷社、宝物館、接待所、鐘楼、奥の院、等からなっており、特に本堂は建築様式から見て、室町時代の建造物と推定されています。

「竹林寺庭園」は客殿にセットされた池泉観賞式庭園。中国・廬山等の風景を取り入れ作庭されたとも。また、同庭園には、室町時代・夢窓疎石(1318年に同寺を訪れたという記録があるため)作庭とする説と、江戸時代後期の作庭とする説(客殿・書院は江戸時代後期の建造物、庭園の地割が江戸時代後期の物に近い)があります。確かなことは分かりませんが、夢窓疎石のイメージを取り入れたか、室町時代のベースがあったかして、それを基に江戸時代後期に作庭したというのが真相ではないでしょうか。

「竹林寺庭園」は前述のごとく、客殿・書院周辺に造られた庭で、1つは客殿南面に面した前庭。2つ目は客殿西南〜西部。3つ目は客殿北から書院にかけて造られた庭。勿論、2つ目と3つ目がメインの庭になります。

そこで本日の一口アドバイス。

「夢窓疎石作庭説と江戸後期作庭説。後者が有利?竹林寺庭園!」

(りょう)

 

 

 

 

 

本堂(文殊堂)

 

 

 

 

 

山門

 

 

 

 

 

客殿

 

 

 

 

 

小書院 横の前庭

 

 

 

 

 

客殿から見た庭園

 

 

 

 

 

客殿から見た庭園②