りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,125

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭書「築山山水庭造伝・前篇上」①!

江戸時代の作庭書を紹介中。「築山山水伝」「夢窓流治庭」に続いては「築山山水庭造伝」を紹介します。同書は前二書と異なり、庭づくりの実用書として、分かりやすくかなり充実した内容となっています。ただし、その分かなりの大作。従って、全文紹介についてはこれまで以上に煩雑な作業となりますが、あえて実行します。ご了承ください。

ベース資料は引き続き、大阪市立大学の「中谷ゼミ」で、そこに掲載されている原文・訳文を参考に、筆者は分かりやすさを最優先し、大胆に意訳しました。なお、中谷ゼミに興味のある方は、下記URLでご確認ください。

URL  http://www.arch.eng.osaka-cu.ac.jp/~design/nakatani/kozin/niwa/welcome.html#Anchor-49575

さらに「築山山水庭造園」とは何かを知っていただくため、中谷ゼミの同書紹介分も下記に転載しておきます。

「中谷ゼミの紹介文」・・・この作庭書は北村援琴(詳細不明)が書いた『築山庭造伝』を秋里離島(江戸時代の作家)が一層具体化し、かつ前年 秋里離島が著した『石組園生八重垣伝』を一部改作しものである。この書を書く際に 秋里離島は北村援琴の『築山庭造伝』を注意ぶかく手本として京都・大阪を中心とし た各地の名園を訪れた。 内容や本文構成は『嵯峨流庭古法秘伝之書』を参考にしたということが窺える箇所も 多く存在する。この書の特徴を挙げるとすると、『嵯峨流庭古法秘伝之書』と『築山 山水伝』の作庭書とは違い、一で始まる箇条書きをやめ、全てに目次(目録)を付け ている。また、上記の二つの作庭書よりも、多くの項目を付けており、内容的にはか なり実用的なことが入ってくるようになっている。又、図が増えてきていること も『築山庭造伝前編』の特徴(ただし、中谷ゼミ資料に図の添付は無い)である。

「山水築山庭造伝・前篇上」・・・北村援琴・秋里離島共著 1735年の作

1:序文

山水(庭)の原点を追いかける。日本では文徳天皇南殿の庭園は、太政大臣・良房公の作品である。宇多院の庭は、昌泰3年に出家し亭子院に移り住んだ時に作られた。同庭は寛平法皇の作品である。太政大臣・平清盛が福原(神戸)の新内裏に作った庭は、大蔵大輔の作品である。御深草院の御子が禅林寺で出家され、その時東山山荘に作られた庭は、仁和寺の僧・正了偏の作である。嵯峨・天龍寺及び西芳寺等の庭は、夢窓国師(疎石)の作である。

天竺では悉多太子(出家前のお釈迦様)が王城で暮らしていた時、悟りを求めてそこを出て行こうとした。その時父である大王(浄飯王)がそれを嘆き、どうすれば防ぐことが出来るかと悩まれた。そして、悉多太子が住む4つの宮殿(太子は春夏秋冬を快適に暮らせる宮殿を持っていた)に合った美しい庭園を作った。具体的には、東の宮殿には春の絶景の山(山≒庭)、南の宮殿には夏の山、西の宮殿には秋の山、北の宮殿には冬の山を作った。これが庭園と言うものの始まりとなった。そして、この4つの庭園は他に追随するものが無いほど美しかったと伝えられている。しかし、時代は過ぎ去り、秋の山のみが残ったとの事(この部分は「嵯峨流古法秘伝書」(紹介済み)の冒頭部とほぼ同じ)。

その後、相阿弥(室町時代の絵師・作庭家、紹介済み)と言う人物が現れ、古木流(自然観、わびさび的イメージ?)を伝え、その妙を取り込み、古くから伝わる最高の極意とも称することが出来る、東山・慈照院(銀閣寺、紹介済み。ただし、善阿弥作ではと言う説はあるが、相阿弥作と言う点には疑問)、または、大徳寺・大仙院(紹介済み。ただし、こちらも古岳宗亘<こがくそうこう>作庭とされており、相阿弥作庭説には疑問)などを作った。

今、改めて古くからの名庭の達人・作品を取り上げ、次にそれらの素晴らしさを庭園造りに取り入れ、そして作庭技能の発展につながる一助となることを期待する。

そこで本日の一口アドバイス。

「冒頭部分に既に内容・文章の分かりやすさ。乞うご期待・・・」

(りょう)

211:築山庭造伝

 

 

 

 

築山山水庭造伝

211:文徳天皇

 

 

 

 

 

 

文徳天皇