りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,147

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭書「築山庭造伝・後篇上」②!

「築山庭造伝・後篇上」・・・秋里離島著 1828年の作

注意事項:「築山庭造伝・後編」に関しては、他の作庭書以上に図面・イラストが多用されていると推定されるが、残念ながら中谷ゼミ資料に同添付はない。

2:この書の方向性

一:全ての作庭者の元祖は、文武天皇(第42代天皇 在位697〜707年)時代に始まり、太政大臣・藤原良房(804〜872年 平安時代の有力貴族。藤原北家の代表的人物で、同氏による摂関政治体制を築く)へと引き継がれていき、彼の作った庭の基本構造が元となっている。同技法はさらに松雪舟斎阿弥(意味不明。多分各時代の複数の作庭者を指しているが、誰と誰なのか判別困難)などへと伝わり、現在では正阿弥(刀の鍔職人に正阿弥の名がある。しかし、無関係であろう。多分、作庭家・正阿弥と言う人物がいて、子孫のグループが正当な技法を受け継いだという事であろう)の家へと連綿と受け継がれた。

その正阿弥の子孫は、幼い頃から後見人に10年以上を費やして正しい作庭セオリー(法)を学んだ。なぜなら、漠然と庭が作られ正しい技法が乱れることを防ぎたかったからだ。全ての正しい技法と時代ごとの変化を正確に伝えたかったからだ。だから、状況に合わせ図面・イラストを描き、それを印刷し添付することで、敷石の置き方、植栽の方法、泉・水路・池などの状況、築山の状況、平地の表現方法、山道の作り方、石橋の架け方、その他様々な表現方法を提示した。これらを纏めて流儀諸法と呼ぶ。そして、他に正しい作庭セオリーというものは存在しない。正しいものは、家元(ここでは、正阿弥が伝えるもの)が提示しているものだけだ。だから、この書を見て勉強しなさい。

二:古い人が伝えたものには、全て正しい作庭セオリーと、守るべき決まりがある。最近の庭師は、施主に気に入られようとして、格好の良い庭ばかりを作ろうとする。だから、正しい作庭セオリーが守れないと言う。だが、正しい作庭セオリーを守れば、最高の美意識(風流)・最高の景観もその中に見つけ出すことが出来る。この書はそれら最高の技法を、図やイラストなどで示している。この点を熟知しておく事。

三:草木を使いこなすには、非常に優れた特別な知識がいる。ただし、この件に関しては中・下巻で提示する。だから、この上巻ではそれ以外の作庭技法を、言葉と図面とイラストを駆使して提示していく。

四:施主の好みによって、どのような景観を作るかが決まるが、ただそのまま形にする場合と、そうでない場合がある。+αを加えて作ると言う作庭セオリーもある。だから、単純に要望に合わせ作るべき景観と、部分的に修正して作る景観との差も、ビジュアルに提示していく。

五:正しい作庭セオリー(法)として伝えられているものには、式と言うものがある。例えば、**と言う石は**と言う場所に置いてはいけないと言う絶対に守るべき決まりがある。だから人のためを考え、石組やゾーニングの段階で図を作成し、庭の状況を把握しなければならない。だから、スキルアップしていく人は、正しい作庭セオリーを知り守る人でもある。

手水(チョウズ)鉢、石燈篭、垣根の設置方法等に関しても、その時の状況に合わせて示し、庭作りが自由にできるように、そのポイントを伝授する。それが出来るのは、筆者が古い人の作品を見て歩き、また、その元となる情景を知るため、諸国の名勝を巡り歩いたからである。

補足事項:「築山庭造伝・後編」自体の説明コーナーとも言える2項だが、過剰な自己顕示欲と、流派的な閉鎖性が見え隠れし、書物自体の価値を低下させている。

そこで本日の一口アドバイス

「秋里離島と言う名前の割には、凡人の自己顕示欲が・・・」

(りょう)

233:文武天皇

 

 

 

 

 

 

 

 

文武天皇

 

233:東三条殿跡

 

 

 

 

 

 

 

平安京の「東三条殿」跡:藤原良房が作った屋敷