りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,175

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭書「築山庭造伝・後篇下」⑦!

「築山庭造伝・後篇下」・・・秋里離島著 1828年の作

注意事項:「築山庭造伝・後篇」に関しては、他の作庭書以上に図面・イラストが多用されていると推定されるが、残念ながら中谷ゼミ資料に同添付はない。

14:あらゆるものに合う相性とは

提示した図を見ると、平凡で特に変わったところは無い。ただ、井戸があるだけだ。このような構成はあらゆるものに良くマッチする。名付けて「水のように柔軟性があり、全てにマッチする庭」と呼ぶ。素晴らしい。また、住宅等では異なる指摘もある。例えば、御殿の庭であれば、正面は南向きであり、東西14.4m(8間)×南北10.8m程度の建屋があり、庭内には滝などを作る。その場合でも滝口の井戸から水を引き、その周辺に松と竹を植える。このような水の使い方を「全てにマッチする不死の水」と呼ぶ。となれば、滝口を中心に定めた庭=「全てにマッチする不死の水」と言う事も出来る。ただし、庭の敷地が狭くて、図のように井戸廻りを作る場合もある。その場合でも、由緒正しい資料によるレイアウトであると言えば、納得する人も多くなる。

また、物語にも登場したものなど、過去の資料を調べると、滝口の構成は様々である。例えばある伝えでは、「夕方近くで闇が迫ってきたころ、井戸に車を落として、驚いで逃げようとした人がいた1~2人いた。近くでそれを見ていた人によると、さまようように井戸に近付いたが、その存在に気づかず、アクシデントを起こして驚いたようだ。そして、逃げて何とかその場をしのいだ」などと言ったエピソードも伝わる。

補足事項:この部分は原文が不明確で、訳もまた正しいか否かは不明。ただ、後の部分と意味がつながらないため、原文表記・訳のいずれかが間違っている可能性が強い。

いずれにしても、滝口の井戸が庭の構成に大きく影響することは間違いない。古くから、このようなメインとなる井戸の事を「勤めの井戸」と呼ぶ。これは、詰所の語源にもなった。井戸のある庭については、提示した図を参考にして対応する事。

15:清見寺の庭について

*清見寺(セイケンジ=静岡県清水区にある、臨済宗妙心寺派の寺院)の詳細は東海道名称図会(前出。江戸時代後期に発刊された名所案内絵本)に紹介されているので省略する。ここからは、同寺の庭について述べる。この寺は人々に広く知られており、その寺のある山の中腹に、古くから寺の境界近くに庵があった。そこには滝と泉があり、滝からは水がほとばしるように出ていた。しかも、年中その水が渇れることは無かった。

水を引き込むために、流れから筧(竹などを使った、水を引き込むための装置)を使って、台所や手水に清水を引き、庭の泉も満々としていた。紅白の小魚が岩の間を泳ぎ回り、庭の広い敷地には樹木が葉を茂らせ、枝を一杯に伸ばし、岩角にツツジ・水際にヤマブキ、その他、樹齢200年とも伝えられるシダレザクラが、春を忘れることなく咲き誇った。

他にも、ハス・カキツバタ・クズ・ススキ・ハギ・フジ・キキョウなどが植えられ、さらに秋にはモミジも真っ赤に色づく。だから、四季を問わず楽しめる名庭となり、庭不尽思庭(年中楽しむものが尽きる事が無い庭)と言う唐風の名前が付けられた。まさに、東海道で随一の庭だ。作庭者は山元道斎(詳細不明)で、彼は作庭家の元祖にもなった。天正時代(1573〜1593年)の作品である。

御神君東照大権現(徳川家康)様は駿府(現在の静岡市葵区周辺)で大納言(行政者の官位)に就任し、当時にこの地を訪れ、部下に命じて上記の庭を作られた。そして、同庭園には、自ら桜二本と梅・松の他数種の樹木が植えられ、そこで遊びくつろがれた。今もそれらの樹木は生き見事に成長している。花も格別に美しい。このように、清見寺の庭園は誠に目出度い庭である。

*また、泉水へと向かうところに大きな石が設置されている。象か羊が伏しているような形の石で、その名を初平石と言う。その時によって、大きくなったり小さくなったりすると伝えられる奇妙な石だ。海中から(以下、原文自体が脱落)・・・

同寺は天文時代(1532~1555年)中期に作られ、今川義元公の姑の父雪斎和尚(大原雪斎=今川家の家臣~臨済宗の禅僧。徳川家康の師であったとも伝えられる)が開基(創建者)で開山(最初の住職)は本光国師(崇伝=安土桃山時代~江戸時代初期の臨済宗の禅僧)である。その庭は多くの罪人を動員して彼(おそらく本光国司の事)が自分で作った。そして、庭の中央には休憩所(亭)があったが、これも崇伝作とされている。そして、東照大権現様は自分の手で、その亭の近くに前述の梅などを植えられた。他に、ヤマモモなども植えたとの事。

また、同庭の手水鉢中の石には、「掛目三貫六百目」と彫り付けられている。その石は水に浮かんでおり決して沈まない。真に不思議である。まさに奇石と言うにふさわしい。その形は図に提示したとおりだ。同手水鉢のシンクサイズは75㎝(2.5尺)程度であったと記憶している。

そこで本日の一口アドバイス。

「徳川家康ゆかりの清見庭園。不思議な伝承の正体とは???」

(りょう)

261:清見寺庭園

 

 

 

清見寺の庭園