りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,177

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭書「築山庭造伝・後篇下」⑨!

「築山庭造伝・後篇下」・・・秋里離島著 1828年の作

注意事項:「築山庭造伝・後篇」に関しては、他の作庭書以上に図面・イラストが多用されていると推定されるが、残念ながら中谷ゼミ資料に同添付はない。

17:桃季庵から観る眺望について・・・桃季庵の事を第一楼とも言う

*大阪市内にある生玉の森(生玉神社=大阪市天王寺区)は市の中心部より三十歩程(推定20m前後)の高台になっており、その境内に桃季庵(ただし、現在の生玉神社の桃季庵は無い)がある。同庵には高楼があり、羮焼(意味不明。羊羹<ヨウカン>のようなものか?)を売っていた。羮焼は人気があり、大阪の人は勿論、地方から来た人もそのスイーツに舌鼓を打ち、また高楼からの眺望を楽しみ、帰る時間さえ忘れる程であった。

高楼からは、西側には淡路島〜須磨〜一の谷を、南側には紀州の海を、その他大阪の街の80%程を眼下に見渡すことが出来た。そして、桃季庵の庭には神木でもある大木が古くから植わっていた。それは高さ30m(100尺)にも及ぶ枝を良く伸ばした松であった。このような素晴らしい光景であったため、優雅な心を持つ人々が、多くの記述も残している。その代表的なものを一つ二つ紹介しておく。

 

桃季庵中桃季節(桃の花が咲くころの桃季庵の事を) 人言錦繡粲生香(人は言った。香を焚き染めた美しい絹の着物のようだと)

如何三伏炎蒸日(また、どのように蒸し暑い日であろうと) 百尺長松万斛涼(百尺もある巨大な松が涼をもたらす)

詩仏(江戸時代後期の詩人・大窪詩仏の事)作

 

難波江や紀の海かけて(大阪~和歌山の海の、景観の素晴らしさに) よつの時々る(つ?)め人めの絶えぬ高殿(年中見物者が絶えない、桃季庵の楼)

季 麿(詳細不明。江戸時代の歌人・狂言師:賀茂季鷹の可能性も・・・)作

 

桃季庵の高楼を望みてよめる長歌(桃季庵の高楼を眺めながら読んだ長編の歌)

実にや津の国に(その海に面した国には) 齢ひを永く生玉の名も(長い間生玉神社の事が語り継がれている)

あら高きたかどのは(高い楼は) 朝日ににほへる(朝日に照らされ素晴らしい)

日には照景ぞ(昼間には光を受けた景色が) ひくいせの海声も(延々と眺められ、遠方には海も広がっている)

伝える海楼とかたりも(海の楼などと呼ばれる) するらん浪花なる(浪間の花である<浪速と浪の花を、かけたのであろう>)

うらこぐふねのみやは(大阪湾に漕ぎ出した船のような宮には) ととかめ(おそらく「かもめ」の間違い)舞う(カモメが舞っている)

離島軒(秋里離島自身のこと)

 

そこで本日の一口アドバイス。

「突如大阪の生玉神社登場。だが、記録の中にだけに残る桃季庵・・・」

(りょう)

263:生玉正面鳥居

 

 

 

 

 

生玉神社:正面の鳥居

 

263:生玉本殿

 

 

 

 

 

生玉神社:本殿

 

263:生玉住吉大社

 

 

 

 

 

玉神社内の「住吉大社」(同社内には他にも多くの社がある)