りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,183

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・意外と知らない「明治時代」とは③?

「明治時代」について言及中。この項では、同時代後期について検証します。

「明治時代」は維新・初期の、武家社会の終焉&新政府による民主化への歩み〜朝鮮支配を切っ掛けとする覇権主義の台頭〜日清戦争勃発・・・と言う動きを見せます。そして、日清戦争の勝利により、経済力が急成長し、国際的にも一流国を目指せると言う自信を得ます。その結果、公然と欧米諸国との不平等条約破棄と言う路線を打ち出します。ここまでは、ある意味当然と言えるかもしれません。国どうしの関係は対等であるべきであるからです。しかし、朝鮮・清国等を主力対象として、逆にアジアでは日本の支配権係を構築しようとします。

日清戦争後、日本は清国に置いて多くの権益を得ます。その一方で、ロシア帝国も清国に圧力をかけ、遼東半島の都市・旅順と大連の統治権(租借)を得ます。ここに、先行していた欧米諸国、新しく清国利権を得た日本、同ロシア帝国の3つどもえとなり、複雑な覇権争いが生じます。さらに、清国内でも様々な勢力が権力争いを繰り広げ、その象徴として義和団の乱(秘密結社・義和団が清国の独立権を勝ち取ろうと覇権国に対し反乱。1900年に清国の西大后が反乱軍を支持し、覇権国に宣戦布告した)が勃発。しかし、義和団・清国側が破れより国力をさらに弱める結果となります。

当然のことながら、清国内での覇権国権益はさらに強大になり、欧米諸国・日本・ロシア帝国の権力争いも激化。特に、後発のロシア帝国はその勢力を大幅に拡大させます。そして、ここに一面では敵対関係にある欧米と日本との間に、目先の利害共有関係が生まれます。それは、当面の共通ライバル・ロシア帝国の力を削ぐことで、自分たちの立場を有利にすると言う、短期的利益共有でした。結果、日本は日英同盟を1902年に締結。そして、清国内における権力争いの対象をロシア帝国一本に絞ることが出来るようになりました。

そして、自制心を失い、一気にロシア帝国との対立意識を表面化させます。結果、日露戦争(1904年2月〜1905年9月)勃発へと一気に傾斜していきます。結末は、引き分けであったと言うのが一般的見解です。しかし、欧米を味方につけた日本は、勝利者同様の立場を勝ち取ります。具体的には、米国大統領セオドア・ルーズベルトの仲介と言う事でポーツマス条約を締結。

同条約は○ロシアは日本に韓国における政治・経済の優先権を認める○清国内の旅順・大連の租借権と、長春以南の鉄道とその付属運営権を日本に移譲する○樺太の北緯50度以南と周辺諸島を日本に譲渡する○オホーツク海・ベーリング海の漁業権を日本のものとする・・・と言った、ロシア帝国にとっては屈辱的なものでした。なお、いくらアメリカの仲介とは言え、ロシア帝国がこのように不利な条約を結んだ背景には、ロシア革命の危機が迫っており、アジア権益どころでは無いと言う、国内事情があったことを付記しておきます。

いずれにせよ日露戦争は、世界で初めて有色人種が白人に勝利した戦争と言う事になりました。それが、日本人に異様な高揚心と過信を呼び起こしたことは間違いありません。同時にこの時点で、欧米と日本は清国とその周辺の東アジア権益で、真っ向からぶつかる下地を作り出した事に成ります。しかし、高揚心と過信はもはや抑えることが出来ず、複雑な力のバランスにより、紆余曲折はありますが、支那事変〜日中戦争〜太平洋戦争〜敗戦、と言う経過を辿ることに成ります。だからこそ、故・司馬遼太郎さんなどは、日露戦争が切っ掛けとなり日本は帝国主義・軍国主義と言う最悪の道を辿ったと指摘しています。

日露戦争後の、明治の歴史を辿ると、1905年・伊藤博文が初代韓国統監に就任し朝鮮半島の支配権を強化、1909年・韓国支配を閣議決定、1910年・日韓併合条約の締結で大韓帝国を完全支配、欧米との不平等条約完全改訂、1912年・明治天皇崩御・・・と言った道を歩み、「大正時代」へと移行します。しかし、不平等条約の解消以外は、100年も遅れて欧米と同じ過ちを犯したと言わざるを得ません。

しかも、欧米諸国はかつての反省及び時代変化に合わせた路線変更で、その後、中国の独立権を少しずつ認めて行く、柔軟政策へと移行していきます。つまり、日本だけが時代遅れの帝国主義・軍国主義を振り回し、泥沼にはまっていくと言う次第。この動きに対して、政府だけではなく、国民、マスコミ等を含め(ごく一部の例外者はいたが)、誰も抑止力を発揮できませんでした。日本に民主主義は育っていなかったと言う事でしょうか? 壮年期に達した明治天皇もこの間、殆ど存在感を示すことはありませんでした。そこからは、世間に伝えられる英明な天皇と言うイメージは浮かんできません。

そこで本日の一口アドバイス。

「帝国・軍国主義へ一直線・・・国民・マスコミ・天皇は抑止力を発揮できず!」

(りょう)

269:日露戦争

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日露戦争はその後の日本にどのような影響を及ぼしたのか・・・