「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,193
「日本庭園と日本外構 編」・・・「円山公園」と言う庶民のための空間!
この項では、少し変わった小川治兵衛作品を紹介します。それは、京都の「円山公園」。
「円山公園」は京都市東山区にある公園で、江戸時代は八坂神社や安養寺の境内の一部でした。しかし、明治の廃仏毀釈(仏教寺院の優遇を廃止する政策)により同地を没収。1886年(明治19年)にそこに総面積約9万㎡の公園造り、1887年には京都市に移管され、現在のような都市公園になったもの。ただし、当初は武田吾一(明治生まれの建築家。1872〜1938年)の設計により造られ、人工鉱泉療養所や貸席などがある歓楽的要素の強い物でした。しかし、火災で焼失。現在の「円山公園」は1912年(大正元年)に再建されたものです。
明治期、あるいは再建当初の公園がどのようなものであったか、一般的な資料で正確に知ることは困難です。ただし、再建した公園は現在に近い物であったと推定されます。なぜなら、この段階で小川治兵衛が設計・制作に携わり日本庭園も造られたからです。従って、大正時代以降の「円山公園」は多くの人が集まり、散策を楽しむ近・現代的な公園の形態が引き継がれてきたと推定されます。現在のような桜の名所となったのも、大正期と考えて良いでしょう。
また、「円山公園」は知恩院・八坂神社・大谷祖廟・祇園など、京都を代表する観光地とも隣接しています。このため、既に紹介した「平安神宮」と共に、京都観光の一大拠点にもなっています。恐らく、京都を訪れた人であれば殆どが「円山公園」「八坂神社」「知恩院」等を知っているのではないでしょうか?
「円山公園」の庭園は、前述のごとく7代・小川治兵衛の作品として知られています。西側に池を配し東側に水路が伸びた池泉回遊式。また、東山を借景としている点などを考慮すると、いかにも彼らしい作品と言えるかもしれません。しかし、多くの人が集まる公園内の庭園で、富裕層がゆったりとした時間を過ごすための空間とは少し状況が異なります。また、同公園の枝垂桜(シダレザクラ)はあまりにも有名ですが、現在のものは3代目となります。
そこで本日の一口アドバイス。
「小川治兵衛には珍しい大衆空間。それが円山公園の日本庭園!」
(りょう)
武田吾一(明治生まれの建築家)
「円山公園」とその周辺案内図
西側にある池と橋
銅像:坂本龍馬と中岡慎太郎
銅像周辺の景観
休憩所とその周辺
庭園内の池
枝垂桜