「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,195
「日本庭園と日本外構 編」・・・「旧古河邸」にある2つの庭園?
小川治兵衛の作品。この項では「旧古河邸」を取り上げます。ただし、同建造物はジョサイア・コンドルとの共作、と言うよりも日本庭園部分だけを小川治兵衛が担当したのですが、どうも影が薄いように思われてなりません。ではその原因は・・・
「旧古河邸」は1917年(大正6年)に建てられた洋風建造物で、設計・全体の監修はジョサイア・コンドル(1852〜1920年。イギリスの建築家。日本人の妻を迎えるなど、日本文化に強く興味を持ち、同時に明治時代の建築に多大な影響を及ぼした。「旧古河邸」は最晩年の作品)が行いました。つまり、明治ではなく大正時代の作品。ただし、日本庭園部は小川治兵衛作品であるため、このコーナーに組み入れました。同物件の所在地は東京都豊島区西ヶ原で、現在は都立公園となり、バラ園などの人気も高く、多くのファンが訪れます。総面積は3万㎡強で、洋風建築物・洋風庭園・和風庭園等で構成されています。
「旧古河邸」の全体構成を見ると(案内図参照)、北部の高台にメインとなる洋館があり、その南面にバラ園等の洋風庭園、さらに池泉回遊式の日本庭園が広がっています。そして、前述のごとく日本庭園部分が小川治兵衛作品。なお、メインゲートは西門ですが、和風空間へは南側の裏門(染井門)から直接入ることが出来る設計になっています。
日本庭園部は、心字池を中心に渓谷・船着石・大滝・茶室(露地)・見晴台・枯滝・雪見灯籠などが取り囲み、これらを園路が結んでいます。全体的には、緑が深く落ち着いたたたずまいが特色。ただ、小川治兵衛は全体プランにはタッチせず、和の空間のみを担当した。そう感じられてなりません。また、それが当時の造園家の限界であったとも思われます。優れた日本庭園でありながら、冒頭に記した「影の薄さ」を感じさえるのも、そこに原因があるのではないでしょうか・・・
そこで本日の一口アドバイス。
「旧古河邸には優れた日本庭園。でも、主役はジョサイア・コンコルド!」
(りょう)
ジョサイア・コンコルド
旧古川邸案内図
洋館
バラ園
裏門(染井口)
パノラマ
心字池
茶室と露地
雪見灯籠