みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,210

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「昭和初期」と言う時代の真相!

前項では、「大正時代」15年間とはどのような時代であったかについて述べました。この項からは、「昭和時代」前半について考えてみたいと思います。ただその前に、「大正時代」とは民主制と軍国主義がある意味共存・ある意味対立した時代でした。そして、昭和初期は、共存・対立から「軍国主義」圧勝へと動いた時代です。同時に、日本の近・現代史の中で最も重要な時代でもあります。にもかかわらず、「大正時代」以上の目に見えぬ隠ぺい(歴史の教科書等で触れない、等)により、その実態を知らない日本人が殆ど。ここに大きな問題があることを強調しておきます。

「昭和時代」は1926年(大正15年=昭和元年)12月25日からスタートします。勿論、大正天皇崩御〜昭和天皇即位と言う形で幕が開きます。ただ、大正天皇から昭和天皇に変わったこと自体は、当時の日本の天皇制≒傀儡政権であり実質的影響は殆どありません。

日本の歴史を語る時は、天皇の交代劇よりも、「昭和」と言う時代は「第一次世界大戦」後の大陸権益拡大、関東大震災(1923年)・世界恐慌等の影響を受けた昭和大恐慌。この2点が極めて重要な事項であり、以後の動き(軍国主義への傾斜)に極めて大きな影響を及ぼした点を見逃してはなりません。

前項で触れたとおり、日本は日英同盟を結んでいたことを理由に「第一次世界大戦」後、中国大陸・朝鮮半島の権益をさらに拡大させます。同権益は、「日清戦争」〜「日露戦争」〜「第一次世界大戦」と戦争ごと拡大していきます。しかも、良きにつけ悪しきにつけ、当初は欧米と共にその権益を得て行きますが、「第一次世界大戦」以降は、欧米との見解が大きく分かれ、日本だけが突出し孤立し権益を無限拡大して行こうとします。この変化も忘れないでください。ただ、大陸権益が拡大したことで大正末期から日本経済は急成長を遂げ空前の好景気となります。同時に、巨大資本家が国家と結び事業を拡大させていくようになります。

しかし、関東大震災の勃発・アメリカに端を発する世界大恐慌(1929年〜)などのあおりで状況が一変。日本も昭和大恐慌(1930〜1931年がピーク)に至ります。企業・銀行の倒産。中産階級以下の困窮。その悪影響が多方面で出たことは言うまでもありません。日本政府も第一次若槻内閣の台湾銀行の救済案(失敗)、田中内閣の銀行救済策などが出され、その影響で金融機関の整理統合が一気に進むことに成ります。そして、近年の再統合前のメンバーに近い、三井銀行・三菱銀行・住友銀行・安田銀行・第一銀行の5行が顔を揃え、戦前の日本金融界をリードしていくことに成ります。

目を中国大陸に転じると、1925年に孫文が死去し、その後を蒋介石が引き継ぎ、1926年に国民政府を樹立し、それまで清国末期からの国の混乱で生まれた、中国北部の軍閥勢力を掃討する「北伐」を開始します。そして、1927年には上海・南京等を制圧し、中国再統一の動きを強めていきます。ところが、大陸権益を拡大していた日本と、蒋介石の動きは対立することになり、ここに新たな火種が発生することになります。

蒋介石と対抗するため当時の田中内閣は、軍部関係者を集めた東宝会議を開いたうえで、中国北東部に勢力を維持していた張作霖と手を結び出兵。ここに、単なる権益だけではなく日本が中国に直接軍隊を派遣するという中国占領政策が開始されます。その当時の出兵エリアは日本に近く張作霖の勢力範囲でもあった中国・北東部の満州地区。そして、日本は同地区のさらなる権益拡大を狙ったが、著作林は自国に不利となる日本の侵略政策に異を唱えます。これに対し、当時の派遣軍であった「関東軍」は独自の判断で、張作霖の乗る列車を爆破させ暗殺(1928年・満州某重大事件)。しかし、関東軍は自軍の参謀・河本大作が実行犯であったにもかかわらず、この暗殺事件を中国・国民政府の仕業と公表。この時、昭和天皇はこの行動に不快感を表したため、1929年に田中内閣は解散。

しかし、以後「関東軍」の暴走を誰も止めることが出来なくなり、中国戦線は拡大の一途をたどり、満州事変〜日中戦争〜太平洋戦争と、日本は泥沼の戦いへと突っ走ります。ここで最も重要な事は、昭和天皇を頂点とする、日本の首脳陣は戦線拡大にむしろ反対するものの方が多かったと言う事。ここに日本人の決定的欠陥が隠されていることを見逃してはなりません。詳細は次項で・・・

そこで本日の一口アドバイス。

「中国・国民政府の登場〜日本との対立~関東軍派遣〜関東軍暴走。その真実とは?」

(りょう)

296:昭和天皇

 

 

 

 

 

 

 

昭和天皇