みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,231

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「大仙公園内日本庭園」って何だ①?

「中根金作」の作品。この項からは「大仙公園」内に造られた日本庭園を取り上げます。

「大仙公園」は大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町にある堺市管理の都市公園です。住所だけを見ても分かりにくいのですが、日本最大級の古墳群・百舌鳥古墳群の中にあり、世界最大の墳墓とも言われている「大仙古墳(通称:仁徳天皇陵)」と隣接した、歴史的にも最も有用な位置にある公園です。設計面積は81ヘクタールに及び、堺市博物館・自転車博物館・堺市立中央図書館・茶室「伸庵」「黄梅庵」・都市緑化センター・平和塔、それに今回の主対象となる日本庭園などの施設がある、堺市の中核公園でもあります。また、大古墳に隣接して造られた陪塚(バイズカ)も多数「大仙公園」内にあり、その多くが整備・保護され、文化(歴史)保存と言う面でも極めて貴重な存在です。

「大仙公園」の歴史を辿ってみると、4世紀に応神天皇が造ったと言われる河内王朝が栄え、その子供である仁徳天皇を初めとする天皇(当時は天皇と呼ぶべき存在ではなかったが)の巨大古墳がこの地に造られた時点から、歴史舞台に登場すると言う、大和の続く日本最古の文明地帯でした。ただし、直接同地(現「大仙公園」の所在地)が歴史に登場するのは寛永年間(江戸時代前期、1624〜1645年)からで、幕府代官・高西夕雲と当時の豪商・木地屋庄右衛門により夕雲開(セキウンヒラキ)と言う新田が開発された時点から始まります。

その後の1925年に、同地に大阪農業大学(大阪府立大学の前身)が大阪市生野区から移転し、現「大仙公園」の北部が実験用農地となりました。残りの南部は1947年に戦災復興都市計画の一環として公園化され、これが同公園発祥の切っ掛けとなりました。さらに、1966年に農業大学が中百舌鳥に移転(現在はこの場所に大阪府立大学がある)すると、さらに都市公園としての整備が進み、現在に至ります。

「大仙公園」整備の一環として、市制100周年(1989年)を記念し日本庭園は造られました。作庭には4年の歳月を要し、前述のごとく「中根金作」が設計(作庭)。その規模は26,000㎡に及ぶ大庭園です。ただ、当初は「大仙公園」内(日本庭園に接する形)に一般道路が通り、大きな課題が残されていましたが、その旧道も現在では歩道となり、より多くの人々が訪れる庭園となりました。

本項の主テーマとなる「大仙公園内日本庭園」の詳細については、次回に詳述します。

そこで本日の一口アドバイス。

「4世紀から歴史に登場〜江戸時代の新田~農業大学~大仙公園に!」

(みずき りょう)

317:百舌鳥古墳群

 

 

 

 

 

 

 

 

百舌鳥古墳群と大仙公園(模型)

 

317:大仙公園

 

 

 

大仙公園

 

317:博物館

 

 

 

 

 

堺市博物館