みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ

 

りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,247

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・「紫式部公園」が語る王朝式庭園とは?

昭和の庭園。この項では「紫式部公園」を取り上げます。

同公園は福井県越前市東千福町369にあり、1983年(昭和58年)に都市計画事業の一環として造られました。敷地面積は19,000㎡。園内には王朝風の庭園(公園)、紫式部像、同歌碑、釣殿、泉池、自由広場、藤棚、休憩所などがあります。でも、紫式部と言えば、平安時代。平安時代といえば京都・石山寺(滋賀県大津市)などのキーワードが思い浮かびあがりますが、なぜ越前市なのでしょうか? 答えは、父親の転勤に伴い一時期同地で暮らしたため。

「紫式部公園」はその名が示す通り市民公園です。逆に言えば、この程度の規模の公園は全国に無数にあります。にもかかわらず、「日本庭園と日本外構」で取り上げたのは、平安時代の庭園、あるいは寝殿造庭園の部分イメージを直接的に体現できる施設は極めて稀であるから。特に、泉池と釣殿は当時の状況を再現した貴重な存在となっています。

もう少し具体的に記すと、寝殿造と呼ばれる平安上級貴族の邸宅は、住居部(建造物)と庭園スペースから成り立っていました。その構造については多数の資料(図面、再現模型、イラスト、等)が残されており、かなり正確にその実像を掴むことができます。しかし、庭園部(寝殿造庭園)の実物は殆ど現存せず、それだけに「紫式部公園」の持つ意味は大きいと言えます。

同公園を見ると、細部まで学術的研究に基づき再現されたものではありません。市民公園と言う性格上仕方がないことですが、それでも大きな池が中心にあること、釣殿、渡殿、橋と言った建造物が庭園と連携し重要な役割を果たしていたことなどを考えると、極めて重要な存在であることは間違いありません。

そこで本日の一口アドバイス。

「紫式部公園の泉池+釣殿は、寝殿造り庭園の主要部を再現した貴重な存在!」

(みずき りょう)

335:休憩所

 

 

 

 

 

休憩所(食事処・藤波亭も・・・)

 

335:池と釣殿

 

 

 

 

 

泉池と釣殿

 

335:釣殿

 

 

 

 

 

釣殿

 

335:池と紫式部像

 

 

 

 

 

泉池と紫式部像

 

335:紫式部像

 

 

 

 

 

紫式部像

 

335:太鼓橋

 

 

 

 

 

太鼓橋

 

335:催し物

 

 

 

 

ゴールデンウイークの催し物