みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,091

「納得!エクステリア講座」第23回・・・「和風」デザインの分類と特性①!

エクステリアの代表的デザインとして、「モダン系」「南欧風」「中東風」「アジアンテイスト」「アールデコ調」を取り上げてきました。続いて今回からは「和風」について考えます。

<和風にも分類がある>

「和風」と一口に言っても、複数のデザインパターンがあります。エクステリア(住まいの屋外空間)の世界では、「新和風」「和モダン」「純和風」等に分けるのが一般的。しかし、日本庭園や日本建築、それに日本文化の歴史を辿ると、それほど簡単なものではありません。従って、エクステリアの世界とはやや離れますが、簡単にその流れを追ってみます。

縄文・弥生時代にも庭の原典のようなものがありました。しかし、はっきりとした形での「庭園」が登場するのは飛鳥時代。同地の建物(「板葺の宮」等)とのセットで、「飛鳥苑池」が造られ、ここからがスタートと考えて良いでしょう。ただし、「飛鳥苑池」は池が主体の庭で、和風と言うよりも中国庭園の模倣的なものでした。

その後、藤原京・平城京・長岡京・平安京の内裏などに政治の場とリンクした広場が造られ、これもまた初期的庭園と言えるかも知れません。しかし、貴族がその住宅内に個人庭園を造り出したのは平安時代から。そしてこの段階から(まだ中国の影響が強いとはいえ)「和風」と言える建物・庭が登場します。「寝殿造or寝殿造庭園」と呼ばれるものです。

「寝殿造」は比較的画一的な構造で、北側に建物(地形により例外もある)・その前に広場・広場の南側に大きな池・そして、外周を屋根付きの廊下のようなもので囲む。このような形式になっていました。

さらに、平安時代後期になると、末法思想(お釈迦様のご利益が切れてしまう暗い時代になると言う考え方)や浄土系仏教(来世に幸せを託すといった傾向が強い。ただし、鎌倉時代以降の浄土系仏教とはかなり様相が異なる)の隆盛で、大寺院を中心に「浄土式庭園」(宇治の平等院、等)が造られるようになります。そして、この「寝殿造」「浄土式庭園」の頃から、日本特有の建物・庭園となった、つまり<本格的「和風」>が登場したと考えて良いでしょう。

さらに、時代は源平の争いを経て武士の世「鎌倉時代」に。そして、この段階で貴族と武士の生活様式の違いを考慮した「武家造り」と言う建物・庭園が登場。ただしそれは<「寝殿造」の実用的部分改良>に過ぎず、さらに進んだ(ある意味最高の)和風建築物・庭園が登場するのは、次の「室町時代」からとなります。

そこで本日の一口アドバイス。

「知っとこ。飛鳥苑池寝殿造浄土式庭園武家造りへの変遷とその特色!」

(みずき りょう)

 

23:飛鳥苑池跡

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛鳥苑池」の発掘跡・・・「飛鳥苑池」は飛鳥時代に作られた最古の本格的庭園。池が中心でほぼ中国の模倣。「板葺の宮」に近い位置にあるが、建物にセットされた庭園では無い。<画像:飛鳥観光協会のHPより>

 

23:東三条殿

 

 

 

 

 

「寝殿造」の代表とも言われる「東三条殿」の復元略図・・・北側に建物(貴族の住まい)・その前に広場(庭)・広場の南側に大きな池・庭を囲む屋根付きの廊下・建物の下から流れ込む水路、等々。「寝殿造」はこのようなほぼ画一的構成となっている。<画像:ウキペディアより>

 

23:鳳凰堂

 

 

 

 

 

 

 

京都府宇治市の「平等院・鳳凰堂」・・・「浄土式庭園」の代表的存在。大きな池を経て、西方浄土(ここでは「鳳凰堂」)へ渡り、来世の平安に至ると言う「浄土信仰」を具現化したもの。その背景には、平安時代の「末法思想」が強く影響している。<画像:ウキペディアより>