みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,020

「世界のガーデン」 第一章:庭園のルーツ①

第1回:世界四大文明の中に既にルーツが!

以前「日本庭園と日本外構」と言うタイトルで、日本の庭園・建築物・門塀などの徹底的分析を試みました。歴史分析、平安時代〜江戸時代の庭園書現代訳、各時代別作品紹介、等々。

ただ、対象はあくまで日本国内(ごく一部、明治以降の作庭家海外作品を含む)。当然、外国の庭園に関して触れた部分はほぼゼロ。これでは<片手落ち>と言わざるを得ません。庭園は日本だけのもので無い以上、外国の庭を知らずして、すぐれた作品を創る事も、本当の素晴らしさを知ることも出来ないからです。

従って、単なる作品(庭園)紹介ではなく、「日本庭園と日本外構」同様、多角的な視点で<世界のガーデンの真実>を探る事に! ただ、日本の庭園・外構・建築と比較すると、遥かに資料が乏しく困難な試みとなる事は間違い無し。どこまでその素顔に迫る事が出来るかは分かりませんが、じっくりと腰を据えて取り組んでいきます。

まずは、世界の庭園起源から。と言っても、スタートから超難題。そこで、とりあえず<四大文明>からチェック。すると、中国(黄河&長江)文明では、殷・周時代、既に庭園に関する記述がある事が確認できます。ただし、我々がイメージする庭園と言うより<薬草園>的意味合いが強く、庭と言うよりそのルーツと考えるべきでしょう。

インダス文明においては、残念ながら庭園の痕跡は見つかっていません。ただし、痕跡が見つからない最大の要因は文字が解読されていないため。少なくとも<発掘済みの遺跡の中では庭園らしきものは見つかっていない>と言う事。今後の調査を待ちたいと思います。

メソポタミア文明に関してはあまりにも有名な庭園記述があります。<バビロンの空中庭園>です。しかし、ギリシャ人が残した伝説であり、遺跡や古代文献が残されているわけではありません。伝説・神話と考えるべきでしょう。

エジプト文明に関しては、ルクソールの約4,000年前の遺跡で庭園らしきものが発見されたと言う明確な記録があります。ただし、墓地に付随する花壇のようなもので、庭園遺跡とするには早計。やはり、庭園のルーツ的存在と考えるべきでしょう。

その他の地域でも、ストーンサークルや巨石群など、庭園につながるような遺跡は散見されます。しかし、いずれも<それらが進化し庭園となった=庭園のルーツ>と考えるべきもの。少なくとも現時点では、<BC1,000年以前の庭園は発見されていない>と言えるでしょう。

では、古代庭園の登場はいつ頃で、どのようなものであったのか・・・

1:エジプト墓地

 

 

 

 

 

 

BC2,000年頃と推定される、墓地に付随した庭園遺跡(ルクソール)。ただし、死者を弔うための花壇(四角い升の中に花が植えられていた)と言うべきもの。

 

1:空中庭園

 

 

 

 

 

 

バビロンの空中庭園・・・ただし、ギリシャ人の空想の産物。遺跡が発見されたわけでも、古代文献が残されているわけでもない。

 

1:ストーンヘンジ

 

 

 

 

 

 

 

ストーンヘンジ(イギリス)・・・その起源はBC1,100年頃まで遡れるとの事。果たして、庭園ルーツの一つと言えるのか?