みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,023

「世界のガーデン」 第二章:中東の古代史と庭園遺跡②

第4回:古代ペルシャ、2つの庭園遺跡!

遺跡など明確な証拠が残る世界最古の庭園は、(少なくとも現段階では)古代ペルシャにあると分かってきました。そこで、この「世界のガーデン」シリーズも<ペルシャ式庭園>と呼ばれるものから検証していく事にします。

実は、このタイプの主要庭園を探す事はそれ程困難ではありません。9ヶ所の代表作が世界遺産に指定され、資料も集めやすいため。ただ、<ペルシャ式庭園>と一口に言っても、作庭年代には大きなバラツキがあります。そこで、可能な限り古い物から紹介していく事に・・・

そして、作庭年代が飛びぬけて古いのが、前項(第3回)で紹介済みのアケメネス王朝時代の遺跡。具体的には、キュロス2世が同王朝最初の首都として建設した「パサルガダエ」にある庭園遺跡。2つ目は、その後ダイオレス1世(BC550年頃〜BC486年)が遷都した「ペルセポリス」(BC520年頃〜アケメネス朝がギリシャに屈服したBC330年頃まで)の「ダリウス宮殿」にせ併設された庭園。ただし、「ペルセポリス」全体は世界遺産に指定されており、「ダリウス宮殿(または、同庭園)」は単独指定はないため、前述した9ヶ所の世界遺産指定<ペルシャ式庭園>には含まれていません。

両庭園で最も注目すべき点は、<ペルシャ式庭園>最大の特色である<中央に方形池、そこから十字の水路、明確な幾何学式(同形式に関しては次項で詳述)>と言う様式がすでに採用されていたと言う点。つまり、<ペルシャ式庭園>の基本仕様はBC550年頃〜BC500年頃にはすでに確立されていたと言う事!

「パサルガダエ」「ペルセポリス」にある庭園の中で、前者は既に前項で説明済み。そこで、今回は「ペルセポリス」内に造られた庭園遺跡についてもう少し詳しく説明しておきます。

まず宮殿名ですが「ダリウス」=「ダイオレス1世」で、「ダイオレス宮殿」と呼んだ方が分かり易い。しかし、何故か「ダリウス宮殿・庭園」と言う名称が浸透しています。この点、まず誤解が無いように。と言う事は、同庭園の作庭年代はBC500年前後と考えて良いでしょう(おそらく、「パサルガダエ庭園」より20〜30年程度新しい)。

庭園様式に関しては、「パルダガエ庭園」とほぼ同じで、完全な<ペルシャ式庭園>であったと見て間違い無し。砂漠の中に人工的オアシスとして作られた庭園で、自然調ではなく幾何学式となったことは当然と言えます。なお、このような空間(庭園)の事を「パラダイサ」(光り輝く場所)呼んでいたようで、後にヨーロッパ人が創出した「パラダイス(楽園)」の語源との事。

4:ペルセポリス

 

 

 

 

 

 

 

「ペルセポリス」遺跡の(「ダイオレス1世」がここに遷都し、アケメネス王朝崩壊まで・・・)

 

4:ペルセポリスの庭

 

 

 

 

 

 

「ダリウス宮殿」の復元画像・・・等テラスの前から庭園へと続く。実際には池・水路・そして植栽等があったと推測される。

 

4:復元画

 

 

 

 

 

別の「ダリウス宮殿・庭園」復元画・・・中央に池(噴水)が見えるが、実際にこのような形であった可能師が強い。