「木の文化」は、まだ生きている(飴村雄輔著) 連載第4回

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1:何故、木材は使われなくなったか②

 

50年で変貌した住宅業界

半世紀前に時代を戻してみましょう。正確には昭和30年代の後半の東京オリンピックのあった頃、日本はまだ高度成長期に入る直前でした。地方都市の当時の街並みは子供らがしっかり覚えています。

そのころ、地域を問わずその町で建築材料のお店というものは、材木店と金物店くらいでした。材木屋は木材だけでなく竹材や合板も確かおいていたと思います。当時の金物屋には金物以外に大工道具、その他、セメント、砂、レンガやタイル、塗料も含め、それらを扱う専門職人の道具類もたくさん並んでいた記憶があります。

 

施工業者としては、左官屋、瓦屋、畳屋、建具屋、ガラス屋、石屋、ブリキ屋、と呼ばれる職人が点在していました。彼らは材料含め製作や施工も請け負う職人たちです。他に、設備業者としてあったのは電機屋と水道業者ぐらいでした。これらの業者も含めすべてを仕切っていたのが「町の大工さん」でした。材木屋と金物屋と、たったこれだけの専門施工業種だけで、当時の木造住宅建築はすべてこと足りていたのです。

当時の大工は、お客様と打ち合わせして間取り設計、骨組みの伏せ図も起こし、基礎から木材の選定、木取り加工まで建物すべての責任を負う立場でした。

したがって、すべての分野で専門的な知識を要求されました。また、何でも知っているから「大工」と呼ばれていたのです。そして新築棟上げ時、指示をだす大工の棟梁の立ち姿は当時の子供や若者の憧れの職業のひとつでもあったのです。

図-03昔の建具屋のたたずまい

 

 

 

 

 

 

 

昔の建具屋のたたずまい

 

あれから50年が経った今、建築材料は木材も金物も大型ホームセンターの売り場に圧倒的品ぞろえで並び、昔の材木屋も金物屋もすっかり減ってしまいました。そして今や、専用の建材製品はメーカーから直接ネット調達出来るようになっています。

新築住宅は地元の工務店や大工棟梁の手から、専門ハウスメーカーが取って代わり、彼等は全国の各地に進出し、合理的営業手法で熾烈な顧客獲得競争を続けています。関わる専門業者もあらゆる工種が専門化され、新築が出来上がるまでに出入りする専門業者数は20社以上と聞きます。施主から見れば、設計担当者と営業担当者が居て、そして最後まで現場工程を統括する監督も別の担当者になります。大工はプレカット工場から送られてくる部材を組み立てるだけで、構造全体の納まりに責任をもって目を通してくれるわけではありません。果たしてその建物すべての詳細を誰が把握してくれているのかは、もうわからなくなってきています。

このようにたった半世紀で、日本の住宅建築はすっかり変わってしまいました。半世紀というのは長いようですが、日本の木造建築というものは千数百年に及ぶ歴史を刻み、様々な時代背景を通して技も仕組みも受け継がれてきたことを考えると、たった50年の短期間で起こった出来事です。

日本は世界を驚かせるほどの伝統的な木造建築物が今でも厳然と残っている国です。それももはや別の次元の建築だと思っている人がいるようですが、50年前までは伝統的木造建築物と云われる建物も地域の大工棟梁から見れば参考となる程度の建築だったのです。

もちろん当時でも、その大工棟梁になることは大変ではありましたが、その棟梁が急速に居なくなっりつつあるこの時代、もう取り返せないかもしれない「大切な何か」を失い始めていることに警鐘を鳴らしたいと思います。