みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,036

「世界のガーデン」第五章:ギリシャ・ローマ時代の庭園

 

第18回古代ギリシャに庭園は存在したか?

 

この章では古代ギリシャとローマの庭園事情を探ります。まずは古代ギリシャから・・・

古代ギリシャは周知のとおり、現代ヨーロッパの原点とも言える重要な文明です。となれば、古代ギリシャに本格的な庭園が存在すれば、それが欧米の庭園文化の元と言っても差し支えないでしょう。では現実にそのような史跡が残っているのでしょうか?

結論から言えばNO! ただし、様々な痕跡は残されています。古代ギリシャ系の庭園資料は、文字通りギリシャ自体が残した痕跡と、「ヘレニズム」<マケドニアの「アレキサンダー大王(在位BC336〜BC323年)」の東方遠征、ほぼ同時代の「エジプト・プトレマイオス朝」など、ギリシャと周辺地区が混交した文明>系とに大別されます。

ギリシャ系に関しては、「ミノア文明」<BC1900〜BC1000年頃にエーゲ海のクレタ島で栄えた文明>の壁画等に庭園の痕跡が残されています。ただし、自然の風景の一部とも思われるもので、明確な庭園と断ずることは出来ません。また、BC700年代の「ホメーロス(叙事詩イーリアス、オデッセイの作者と言われている吟遊詩人)」作品の中にも庭園に関する記述が散見されます。例えば、「宮殿の庭は柵で囲まれており(中庭)果樹が植えられ、他に比べ物がないほど素晴らしい」と言った記述など。ただし、単に宮殿内に果樹が植えられていただけか、本格的な中庭であったかは判然としません。当然の事ながら、それを証明する遺跡も見つかっていません。

この他、古代ギリシャではアクロポリスと呼ばれる丘に神殿が多数建造され、現在もその史跡が著名な観光地となっています。そして、その宮殿に付随した庭園らしきものの痕跡も残されています。ただしそれもまた、実用を兼ねて植えられた果樹、部分的な植栽であった可能性が強く、庭園と呼ぶには疑問符が付きます。

「ヘレニズム」系の資料でも庭園に関する記述等が残っています。バビロニア地方では王宮にいくつかのギリシャ系植物が植えれれていた、「プトレマイオス朝」下の豪邸には屋根付きの吹き抜けがあり鉢植えが置かれていた・・・と言ったものです。ただし、これまた明確に庭園と呼べる資料とは言えません。勿論、庭園遺跡と断じられるものも発見されていません。

古代ギリシャの資料で最も古い庭園に関する記述は「バビロンの空中庭園(第1回で紹介済み)」だと推定されますが、これまた絵画に描かれた本格的な庭園は後代の創造物が出あり、その存在を証明するものは見つかっていません。以上の状況を考えると<古代ギリシャにおいては、様々な庭園のルーツはあったが、本格的なものはまだ作られていなかった>と言うのが妥当な解釈でしょう。

 

クレタ島

 

 

 

 

「ミノア文明」が興ったエーゲ海のクレタ島

 

 

ホメーロス

 

 

 

 

 

 

 

BC700年代の吟遊詩人「ホメーロス」

 

 

アテナイのアクロポリス

 

 

 

 

 

アテナイのアクロポリス(丘)に造られた神殿

 

 

ファイストス神殿

 

 

 

 

 

「ファイストス神殿」・・・周辺に果樹その他の植栽が施されていたと言った記述が残る。

 

イスラエルの果樹園(レモン)

 

 

 

 

 

 

イスラエルの果樹園・・・ギリシャ神殿などに植えられていた果樹その他の植栽は庭園と言えるのか否か?