みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,051

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第33回:公園となった「テュイルリー宮殿」跡

 

引き続き「ル・ノートル」作品の紹介。この項では「テュイルリー庭園」を取り上げます。この庭は「テュイルリー宮殿」に併設されたものですが、同宮殿は1,871年の「パリ・コミューン」時に焼失し、現在は庭園部は公園となっています。また、宮殿自体は再建されていません。従って、「テュイルリー公園」と言った方が適切かもしれません。

また、「テュイルリー宮殿」は「ルーブル宮殿」(現在の「ルーブル美術館」)の西側に隣接して造られたため、どの程度その存在について知っているか否かは別として、世界中の人がその跡地と「テュイルリー公園」を訪れています。

「テュイルリー宮殿」の歴史を辿ると、1,563年にフランス王「アンリ2世」の母「カトリーヌ・メディシス」(当時摂政の地位にあり実験は彼女にあった)により建造がスタート。ただ、完成までには100年の時を要しており、この事からも贅を尽くした宮殿であったことが分かります。庭園に関しては、1,664年に「ルイ14世」の命で「ル・ノートル」が作庭し、現公園の元となる泉水設備・遊歩道などが整備されました。

しかし、同じく王宮としてセット利用されていた「ルーブル宮殿」も含め、1,683年に新設の「ベルサイユ宮殿」へ移り、その役割を終えます。ただし、「テュイルリー宮殿」はその後消失するまで重要な政府機関として活躍。「ルーブル宮殿」も同様ですが、現在は世界有数の規模を誇る「ルーブル美術館」として親しまれている事は周知の通り。

「ルーブル宮殿」に関しては、やはりパリ・コミューンで一部が焼失しましたが、美術館としての再生が決まったためか、修復が行われ現在に至っています。一方、「テュイルリー宮殿」に関しては、2,003年に再建計画が持ち上がりましたが、300~400億円の費用がかかるうえ、全額を寄付等の民間資金で賄おうとしているため、未だに目途が立っていません。

ルーブル

 

 

 

「ルーブル美術館」の航空写真・・・右端(西側)にかつては「テュイルリー宮殿」があった。

 

 

シャルル・フィショ」1858年

 

 

 

 

 

 

 

画家「シャルル・フィショ」が描いた「テュイルリー宮殿」(1,850年)

 

遠景

 

 

 

 

「テュイルリー宮殿」の外観(1,852~1,870年頃)

 

イラスト

 

 

 

 

「テュイルリー宮殿」のイラスト(1,600年)

 

ルイ14世の間

 

 

 

 

 

 

 

「テュイルリー宮殿」内にあった「ルイ14世の間」

 

 

位置関係jpg

 

 

 

 

 

 

周辺との位置関係(1,615年)

 

庭園図

 

 

 

 

「テュイルリー宮殿」と「ルーブル美術館」の位置関係(左=西側)の白い部分が「テュイルリー宮殿」でその他の着色された部分が「ルーブル美術館」

 

現在

 

 

 

 

 

 

現在の「テュイルリー公園」