みずきりょう の:エクステリア&ガーデンメモ NO3,056

「世界のガーデン」第七章:「平面幾何学式(フランス式)庭園」

 

第38回:「コンビエーニュ宮殿」と伝説の森

 

「平面幾何学式(フランス式)庭園」。今回は、「コンピエーニュ宮殿」とその庭園を取り上げます。とは言っても、現地へ行かない限り庭園に関する入手可能な資料は極めて少なく、宮殿のある街・宮殿自体・ロマンスに絡む伝説・・・と言った事を纏める程度となります。ご了承ください。

まず同宮殿のある「コンピエーニュ」と言う街について。この街はフランス北部の「オワーズ県」にあるコミューンの1つ。都市圏全体を合わせても人口10万人強のエリアで、パリやその周辺とは異なり、静かな田園地帯が大半を占めています。

ただし、歴史の舞台には古くから登場し、888年にはこの地で西フランク王「ウード」が戴冠。1,374年には「コンピエーニュ宮殿」の前身となる「コンピエーニュ城」が完成。百年戦争の舞台となり、1,430年には「ジャンヌダルク」が捉えられる。1,918年には第一次世界大戦終結に伴い停戦協定が結ばれる。等々。

「コンピエーニュ宮殿」に関しては、「コンピエーニュ城」を「ルイ15世」が全面改装し宮殿として使われるようになります。さらに、18世紀末に「ナポレオン1世」が手を加え、現在のような新古典様式の建造物になったとの事。

このような歴史変遷以上に、悲劇の王と王妃となった「ルイ16世」と「マリーアントワネット」の出会いの場となった事で現在も伝説の場として語り継がれています。ただし、2人の本当の出会いの場は、宮殿近くの「コンピエーニュの森」だったようで、現在も約145㎢に及ぶグリーンゾーンが広がり、多くの観光客が訪れます。勿論、「ルイ16世」と「マリーアントワネット」の出会いのシーンは、多くの演劇・映画にも登場します。

最も重要な庭園ですが、残念ながら詳細は不明。ただ、「コンピエーニュ宮殿」が現在は「第二帝政博物館」「交通博物館」となり一般公開されており、庭園も散策する事が可能です。どうしてもより詳しく知りたい方は、直接現地へ・・・

庭園

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の「コンピエーニュ庭園」

 

 

コンビエーニュ宮殿入り口付近

 

 

 

 

「コンピエーニュ宮殿」の入り口付近
絵画:ポール・ヌエ

 

 

 

 

 

「ポール・ヌエ」が描いた「コンピエーニュの森」

 

道標

 

 

 

 

 

 

 

「コンピエーニュの森」にある道標

 

街並み

 

 

 

 

 

 

「コンピエーニュ」の街並み

 

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コミューンの紋章