えくすてりや不二ではお客様への安心サービスとして損害賠償保険に加入しています。万が一の工事中の対人対物事故。又は引き渡し後、当社の施工不良が原因で発生した事故や損害において補償いたします。
昨日25日(日)、ガーデン端材市・ピザ窯で焼くピザ試食体験会、港製器工業エクステリア商品在庫処分セールなどの初夏のエクステリアフェアを開催しました。
多数のご来店誠にありがとうございました。
本格ピザ窯で焼くピザ試食会。
お庭にも作ることができるピザ窯で実際に焼いたピザを食べることができるピザ窯。
今回もご好評で、3組8名様にご参加いただきました。
全品10円ガーデン端材市。
石材メーカーさんのデッド在庫品を全品10円で販売し寄付するチャリティーイベント。
大変な盛り上がりで、トータルで9720円分ご購入頂きました。
収益金はすべて動物愛護を中心に活動されているNPO法人LOVE &PEACEさんに寄付させて頂きます。
今後もこのようなイベントを継続して開催していきます。また是非ご来店下さいませ。
店長の藤田でした。
先週 久しぶりに 義兄弟家族で 集まり
義父のお誕生会をしました。
今年で 77歳になった父のために
お寿司屋さんで お食事会です。
お店が おかげさまで 忙しいので
まだまだ 現役で頑張ってくださっています。
頼ってばかりいて 申し訳ないのですが
「仕事 しなくなったら ボケちゃうよ」と 笑ってくださっているので
つい 頼りにしてしまっています。
まだ 小さい孫もいるので からだに気をつけて
長生きしてくださいね。
「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,016
「三宝院」②
京都・醍醐の「三宝院」とはどのような寺院で、「戦国時代後期(安土・桃山時代)」にどのような役割を果たしたか、ご理解願えたでしょうか? それを前提に、この項では「三宝院庭園」について検証します。
「三宝院庭園」も義演により再興されました。しかも、1598年(慶長3年)に催された、あの有名な醍醐の花見を記念し、主催者の豊臣秀吉自らが基本設計を行ったと言われています。そして、花見終了後の1598年4月から作庭作業が開始されたとのこと。つまり、醍醐の花見を行ったその場所を記念庭園として整備したと言う事でしょうか・・・
当然のことながら「三宝院庭園」は、当時の贅と粋を尽くし造られた庭園と言う事になります。作庭家も一流どころが集められ、同時代のトップガーデナー・賢庭も参画したとのこと。しかも、作庭作業は義演が亡くなった1926年まで続き、27年間にも及びました。桁外れの贅沢庭園とでも言うべきでしょうか・・・
作庭当初の「三宝院庭園」は、表書院から眺める観賞式庭園であったと伝えられています。しかし、義演の死後、庭園内に茶室が造られ、この段階で回遊も出来るように部分変更されました。従って、豊臣秀吉が関わった「安土・桃山文化」の影響を色濃く反映した庭をベースとして、江戸初期の茶道文化を追加した日本屈指の名園?・・・それを引き継いだのが現在の「三宝院庭園」と言う事になるでしょう。
庭園構成を見ると、座式観賞式庭園+回遊式庭園とでもいうべきでしょうか。いずれにしても、中心部に池があり、庭のメインとなるのが藤戸石(管領・細川家の邸宅にあったものを、秀吉が聚楽第に移設。さらに、この場所に移したと言うこだわりの石)と呼ばれる石組。同石組は三尊石となっており、これにより寺院庭園的色彩を強めています。さらに、向かって右に亀島、石橋、鶴島が配され、仏教的宇宙感を組み込んだ、雄大な世界をそこに凝縮した見るべきでしょう。
なお、亀島、鶴島には五葉松の巨木が植えられており、特に亀島の松は樹齢600年と推定されており、もしその間に移植が無かったとすれば、作庭当初のものと言う事になります。庭の景観にも時の長大な流れが加わっており、我々が今見ている「三宝院庭園」は秀吉や家康が観た以上の庭園と言えるかもしれません。ただ、贅沢三昧=最高の作品と言えるか否かは意見の分かれるところでしょう・・・
そこで本日の一口アドバイス。
「安土・桃山&江戸初期最大の贅沢庭園=三宝院庭園!」
(りょう)
三宝院庭園:遠景
藤戸石(三尊石)
亀島と五葉松
鶴島と五葉松
三段の滝組(奥)
苔庭(瓢箪・盃型等の遊びの庭)
沈流亭(茶室)
純浄観(重要文化財・非公開)
奥宸殿(江戸初期:重要文化財・非公開)