「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO2,224
「日本庭園と日本外構 編」・・・「松尾大社松風苑」の3つの庭とは?
「重森三玲」作品。この項では最晩年の作「松尾大社松風苑」に造られた3庭を取り上げます。
「松尾大社」は京都市西京区嵐山宮町にある神社で、朝鮮・新羅系の豪族秦氏により、最初に社殿が建立されたのは飛鳥時代とされています。秦氏は酒造りとの関係も密接で、「日本一の酒造神」とも言われています。現在の神殿は1397年(室町時代初期・応永4年)に建造がスタートし、1542年(天文11年)に大修理が行われたといった記録があります。また、建築様式を「松尾造り」と呼ぶとの事。
現在の「松尾大社」は、本殿(重要文化財)、拝殿、釣殿、神庫、楼門、中門、回廊、境内末社、そして催場的施設・「松風苑」等で構成され、その「松風苑」に「重森三玲」作庭の3つの庭がセットされています。
「松雄大社松風苑庭園」は、丸1年の工期と1億円の巨費を投じて1975年完成しました。「重森三玲」の没年も1975年(3月12日)ですので、最晩年の作品と言うことになります。同庭園は、「上古の庭」「曲水の庭」「蓬莱の庭」の3か所に分かれており、各時代の特性を活かし、しかし、いかにも「重森三玲」らしい斬新なデザイン構成の現代庭園ということが出来ます。
「上古の庭」はその名が示す通り、「松尾大社」の社殿ができる以前の状況をイメージしたもので、森の中に巨石が配された、自然観を第一とした作品です。庭の奥、中央にある2つの巨石は「松尾大社」の男女のご祭神を表し、その周辺に茂るミヤコザサが人の立ち入りが困難な高山をイメージしているとの事。
「曲水の庭」は、言うまでもなく平安時代の皇室・貴族が築いた王朝文化の優雅な暮らしを表したもの。当時は寝殿造と言う建物と同庭園が多数造られ、そこで舟遊び・曲水の宴などが良く催されました。「曲水の庭」は勿論そのような暮らしを再現した物。ただし、「重森三玲」らしく、近・現代的なアレンジが施されています。
「蓬莱の庭」は不老不死・神仙と言った思想を反省したもの。このような石組・庭園構成は他の作品にも数多くみられる、「重森三玲」が最も得意とする分野でもあります。また、このような神仙思想は日本では鎌倉時代に最も流行した物で、源頼朝も「松尾大社」に献納を行うなど信仰対象としていました。また、枯山水では無く池を配してそこの石組を造った点も大きな特色の1つです。
このように以上3つの庭は、古代・平安時代(王侯貴族時代)・鎌倉時代(武家社会)等の時代の変遷を表しています。また、同庭園には吉野川の青石が200個以上使われ、その特性と色彩感覚が特有の世界を創り出しています。ただ、コンクリートを多用した技法、人工的なデザイン構成は現代的であり、かつ極めて個性的なものとなっています。その一方で、「松風苑」自体が多くの人が訪れる場所で、一般大衆の視線を強く意識した「サービス精神旺盛な庭」・・・筆者にはそう感じられます。この点に関しては、「岸和田城八陣の庭」等に通じるものを感じるのですが、果たして誤った見方でしょうか・・・
そこで本日の一口アドバイス。
「重森三玲最晩年の作品=松風苑。でも、大衆の視線を重視したサービス精神も?」
(みずき りょう)
松尾大社本殿
拝殿
楼門
上古の庭
曲水の庭
蓬莱の庭パノラマ
蓬莱の庭