・・・難しい カーポート。

「カーポートが 欲しいんだけど・・・」と

数年前に お庭まわりの工事をさせていただいたK様と

「どんな カーポートが いいか?」と いろいろ検討して 選んだものです。

四国化成さんの マイポートNEO Y合掌タイプです。

 

「台風シーズンが過ぎてからで」とのご要望でしたが

他の工事が立て込んでしまい やっと 着工できました。

 

真ん中に 大きな柱が建つので 土間コンクリートを斫って

穴をあけました。

 

うちの店では 初めてやる商品なので

いつも以上に 取り付け説明書を 見つめています。

どうしても わからないこともあるので 問屋さんや四国さんに問い合わせて、

考えて、 悩んで、 また電話して・・・

・・・難しい・・・

四国さんも 悩みながら返事をしてくれます。

「説明書の図面を 書いたひとは

施工したことのある人なんでしょうか??!!」 と 

思われる部分もありましたが なんとか ここまで できました。

がんばりました。

重いのもそうですが どうしても

3~4人いないと できない部分もあります。

人手のないうちの店は いっぱいいっぱいです。

もう少し やりやすくならないかなぁ・・・

形は 新しくて かっこいいんだけど、

K様邸は 道路に近くて 一目につくので また 売れるかも。

うれしいやら つらいやら・・・ 

また 進んだら UPします。

現場見学会を開催しました。

今日は朝から激しい雨ですがいかがお過ごしでしょうか。

さて、昨日は晴天の中、現場見学会が開催されました。

 

1件目は、タイル張とアジアンテイストのファニチャーや照明が個性的なガーデンリフォームを手がけた箕面市のA様邸、

2件目は高低差のある中、個性的なインド砂岩を採用したストリップ階段や、約50種類の植物が植えられた洋風外観のナチュラルな新築外構。

お客様の反応も上々。やはり、実際の現場を見るとイメージがわきやすくて好評でした。

また見学会を開催できればと思います。昨日は半日間の長丁場となりましたが、ご参加ありがとうございました。

りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,630

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・臨済宗と夢窓疎石の影響とは?

「日本庭園」は室町時代に爛熟期を迎えます。その決定的要因が2つあると述べました。1つは、貴族と武士の文化を融合させた北山山荘。それを軸として生まれた文化です。そして、その象徴的作品が「金閣寺」とその庭園です。そして、もう1つはが「臨在宗」の影響です。そこで、この項では「禅」と「日本庭園」の関係を探ってみます。

仏教の発展形である「禅」的な発想はインドからもたらされ、唐の時代に中国で発展し、中国禅五家(5つの禅宗)が生まれます。そして、日本でも武家の思想とマッチするものがあり、2つの宗派が隆盛を極めます。「臨済宗」と「曹洞宗」です。両宗派とも「禅宗」であるため、座禅を組みながら人間の内的世界を追求すると言う点は同じです。ただし、少なくとも日本にもたらされた段階では、基本発想にかなりの差が出ました。

「臨済宗」の日本の開祖は栄西ですが、武家政権の間で主に広がり、座禅と一般的な仏教修行を両立させました。少し強引な表現ではありますが、柔軟性を持った「禅宗」と言うことができるでしょう。一方「曹洞宗」を日本に普及させたのは道元です。そして、彼は只管打座(しかんだざ)と言う言葉に象徴されるように、座禅による就業をさらに徹底させ、究極の悟りを目指しました。同じく極端な表現ではありますが、より厳しい「禅宗」と言えるでしょう。そして「曹洞宗」は支配層ではなく、一般の武士を中心に広まりました。

そして、芸術や「日本庭園」の世界には、「曹洞宗」より「臨済宗」の方が大きな影響をもたらします。芸術、芸能、庭園観賞といった世界に足を踏み込む余裕のあった、上流階級の支持があり、それらを生活に取り入れたからでしょう。また、思想的にも比較的柔軟性があり、精神世界を絵画、芸能、建築、庭園と言った形で表現する習慣と結びつきやすかったためと考えられます。

結果、「臨済宗」と共に、宋からは水墨画と言う新しい絵画様式が日本に導入され、「禅」とセットで流行します。また、観阿弥・世阿弥親子が「能楽」と言う新たな芸能を普及させますが、これも「臨済宗」との関連性が極めて深いといえます。 「日本庭園」の世界でも、「夢窓疎石(別名:夢窓国士、等多数)」と言う僧でかつスーパーガーデナーが登場したことの影響も大きく、「臨済宗」に結びつく庭園が仏教寺院を中心に多数造られます。

同時に、自然感覚+精神世界、と言う日本特有の庭園様式も確立され、冒頭で提示した「日本庭園」の爛熟期を迎えることになります。次項では、夢窓疎石の作品をベースに、室町時代の庭園とその様式の特徴にメスを入れます。

そこで本日のひと口アドバイス。

「禅の精神世界を、絵画、芸能、庭園等に取り入れ、日本特有の進化が・・・」

(りょう)

 

 

 

 

 

 

 

「明庵栄西」:日本の「臨済宗」開祖

 

 

 

 

 

 

 

 

「道元」:日本の「曹洞宗」開祖

 

 

 

 

 

 

 

「夢窓疎石」:室町時代のスーパーガーデナー

りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,629

 

「世界のガーデン、日本のガーデン 編」・・・「禅」と「能」と「日本庭園」の関係?

鎌倉・室町時代の「日本庭園」について検証中です。そして、足利義満と北山文化が大きな影響を及ぼし、その代表的存在が「金閣寺」であることが明確になりました。ただし、これだけでは北山文化とは何かを知ることは困難です。同文化を知るには2つのキーワードとその意味を把握する必要があるからです。

では北山文化の2つのキーワードとは? ①:武家文化と貴族文化の融合 ②:「禅」の精神・・・以上です。

①:に関しては前項でも触れましたが、平安の貴族(主に藤原氏)の時代を平清盛が断ち切り、さらに源頼朝が平氏を滅ぼし、武士の世を創りました。鎌倉時代の到来で、政治の中心も鎌倉に移りました。この段階で、質実剛健を好とした武家文化が生まれます。しかし、その源氏・北条氏の世も、南北朝時代を経て足利氏の時代(室町時代)へと移行します。

この段階で、文化的に最も大きな影響を及ぼしたのが、政治の中心を京都に戻したと言う出来事です。そして、鎌倉の武家気風と平安の貴族文化の融合が起こり、北山という特有の、しかも極めて芸術性の高い文化が生まれます。この北山文化は後の日本芸術に決定的とも言う影響をもたらします。庭園文化に対しても同様です。

②:に関しては、鎌倉時代にもたらされた質実剛健の気風と、新しい仏教の波が結合したことが、新文化の萌芽へと結びつきます。具体的には禅宗(特に「臨済宗」)の定着と、その精神の芸術的影響によります。

平安時代には末法思想がはびこりました。貴族達はその末法から逃れるため、浄土(阿弥陀如来の世界)へ憧れ、その擬似世界を創り出します。庭園も同様で「浄土式庭園」が多数造られます。鎌倉時代でもこの傾向は続きますが、武士の世となり、乱世の供養が一段落すると、より内的で高次の精神世界を求め、その最適対象が「禅」と成りました。ただ、鎌倉時代の段階では「禅」の精神が文化とし定着するには至らなかったようです。

しかし、室町時代に入り北山文化の広まりと共に、「禅」の精神が文化や生活面でも取り入れられるようになります。具体的には、「水墨画」と言った新たな絵画の定着、「能」と言う昇華した芸能の確立、と言った形でその影響が現れます。そして、その精神は「茶道」へと引き継がれていきます。

庭園の世界でも、禅寺が多数造られるのに付随して、その精神を反映した新たな「日本庭園」が造られ普及します。「池泉回遊式」「池泉座視式」「枯山水」などの様式庭園です。しかも、この段階で「日本庭園」の基本様式がほぼ確立され、現在でも高い評価を受ける作品が多数登場し、1つの黄金期が形成されます。

そこで本日のひと口アドバイス。

「北山文化のキーワード、①:武家&貴族文化の融合 ②:禅の精神と芸術の融合」

(りょう)

 

 

 

 

「天竜寺」:臨済宗天竜寺派

 

 

 

 

 

 

「禅」と「能」:能舞台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「能面」

 

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