3月の「egg-東日本地区定例会・スタッフ研修」案内  無料体験参加者募集中!

3月20日(木)千葉で「egg-東日本地区定例会・スタッフ研修」開催!

無料体験参加者募集中!

 

 

 

 

 

 

2月の「egg-定例会・スタッフ研修」写真(「リフォームやました」にて)

 

 

*3月の「egg-東日本地区定例会・スタッフ研修」

○「開催日時」:3月20日(木) 13:00~17:00

○「開催場所」:E&G  HIRANOYA  千葉県・八日市場      URL    http://www3.alpha-net.ne.jp/users/hbunten

 

*「主要内容」

○ガラスカレットとグランドグリットを使った、新しい土間開発!

○もう一歩先を行くエクステリアショップの店作り!

 

無料体験参加のお申込み・お問い合わせは下記E-mailにて・・・

info@niwagatari.com

りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,957

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・平安時代後期と当時の庭園?

25回にわたり「作庭記詳述」と言うタイトルで、日本最古でかつ庭作りのバイブル的存在の「作庭記」について、その内容を可能な限り分かりやすく提示しました。今回からは、テーマを元に戻し、平安時代後期と言う時代と当時の庭園について検証します。

まず、平安時代後期とはどのような時代であったかを確認しておきます。平安京が誕生したのは794年。つまり8世紀終盤から平安時代が始まったと言う事。そして時代は進み、11世紀後半から一般的には平安時代後期と言う表現を使います。

平安期は律令体制をベースに、地方では郡司、郷司、等が中央から派遣され政務を行っていました。しかし、外見上は同じ支配形態であっても中身に少しずつ変化が生じてきました。郡司、郷司、その他の地方有力役人が次第に自立色を高めていったことが、その最大の変化と言えます。具体的には、独自に墾田を進め財力を蓄え、開発領主として中央の言うことを聞かなくなって行ったからです。当然のことながら、独立を阻止しようと思う中央勢力と、自由に活動しようとする地方豪族との対立も深刻化します。

中央の政治形態としては、天皇の代行を摂関家が行う摂関政治形態が続いていました。勿論、摂関家の代表が藤原氏です。しかし、天皇と摂関家の対立、地方豪族の台頭等により、この政治形態も次第に機能不全の状況に至ります。そして、中央の対立、地方の独立を阻止するためのキーマンとなったのが武士であったわけです。当初、武士は貴族の配下として活躍しました。しかし、役割りの重要性が増すとともに勢力を伸ばし、地方では反乱者のリーダー、中央においては政務にまでタッチするようになり、やがて平清盛が政治実権を握り、貴族政治~武家政治への移行の切っ掛けを作ったことは、誰もが広く知るところです。

地方氾濫の先駆けとなった10世紀の平将門・藤原純友の乱。12世紀の源氏・平家の台頭~保元・平治の乱による源平激突~平家(平清盛)の政権奪取などはその代表的出来事として広く知られています。

一方、文化に目を転じると、平安時代中期には貴族文化が定着し、日本特有の国風文化が発展を遂げます。その一方で、平安時代前期の菅原道真、前出の平将門・藤原純友、保元の乱絡みで有名な崇徳天皇、などの怨霊話にも影響され、末法(仏の慈悲が届かなくなる最悪の時代)思想が定着します。その救いの切り札として登場したのが阿弥陀如来の世界・浄土で、宇治の平等院に代表される「浄土式庭園」が各所に造られるなど、ガーデンの世界にも大きな影響を及ぼします。

文学的には、平安時代中期に貴族女性が書いた「枕草子」「源氏物語」などの文学、その他、和歌・日記などが多数登場しますが、後期になると歴史物語・軍記物語等に主役が移行します。時代の流れを考えると、当然の変化ともいえるでしょう。

庭園に話を戻すと、寝殿造庭園の登場~同建築・庭園の発展~「浄土式庭園」の登場・発展、と言う経路を辿ります。従って、次項からは「浄土式庭園」とは何か、出来るだけ詳しくその足跡を追ってみることにします。

そこで本日の一口アドバイス。

「平安時代後期のキーワード=武家政治社会確立の前夜+末法思想!」

(りょう)

 

 

源平の合戦屏風(赤間神社所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

平将門(築土神社所蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤原純友(1855年ごろ描かれてと言われる画)

♪ スタッフブログ ♪ 東日本地区定例会

 

去る20日(木)にegg東日本定例会を「リフォームやました」にて開催しました。

メーカーのお嬢さんたちからいただいたチョコをつまみながら、エクステリアの未来について、熱い討論が続きました。

雪の影響で参加できなかった皆様、次回を楽しみにしております。

りょうさんの:エクステリア&ガーデンメモ

 

「りょうさんの:ほぼ毎日、エクステリア&ガーデンメモ」・・・NO1,956

 

「日本庭園と日本外構 編」・・・作庭記詳述:「泉の事④」「楼閣の事」!

今回で「作庭記」の現代語詳述は最後です。そして、最終項の1つ前は前項に続く「泉の事④」、最終稿は「楼閣の事」となり、全37項の終了となります。

「作庭記36項:泉の事④」・・・清潔に水を運ぶ。

汲み上げた水は、1~2夜で腐って臭くなる。虫もわく。だから、絶えず水を取り替えて、(泉)の底の石も土もよく洗って、必要な時にその都度水を入れるようにするとよい。地上に高く筒を立てる時も、板を底の部分に入れておいた方が良い。また、底の部分に粘土を塗ると言う方式は以前に述べたとおりだ。さらに、板の外回りも掘り込んで粘土を塗っておく方が良い。

簀の子を敷く時は、筒状の立板よりもよりも先を少し出して敷いた方が良いと言う説もある。この他泉を広くして、立板よりも60~90㎝、水のたまる部分(泉の縁)が外側に来るようにすると言う説もある。これは、泉に水を流し入れる時に、簀の子の下の水が透けて見えて、ちょっと恐ろしいような感じにすることを好んだためである。ただし、絶対的な決まりではなく、その時の状況に応じ工夫すればよい。

泉を作る時、住居より高い位置に井戸がある場合は、その井戸の水面部分から蓋のある樋のような形の水路作り、そこを通して住居の泉に導けば、流れ出る水が絶えると言う事がなくなる。

「作庭記37項:楼閣の事」・・・楼と閣の違い。

唐人の家には必ず楼閣がある。高楼は別だが、一般的には軒の短いものを楼と名付け、軒の長いものを閣と名付ける。楼は月を見るのに都合が良いように作ったもの。閣は夏の日差しを遮り涼しくするためのもの。そして軒の長い屋根は、夏は涼しく、冬は暖かくすると言う特色を持っている。

以上37項で「作庭記」記述は終わりです。ただし、単に「作庭記」と言っても平安時代の著述と推定される極めて古い書物です。従って、原本が残っているわけではなく、様々な写本が現代に伝わっていると言う次第。

具体的には、最も古い「作庭記」の伝書は金沢市の谷村家が所蔵するものとのことです。また、安土桃山時代までの作庭書は殆どが秘伝書であったようです。そして、江戸時代になりようやく一般に多くの作庭書が出回るようになりました。江戸時代以前の古い伝書は「作庭記」「秘本庭造伝」「山水並野形図」「嵯峨流古法秘伝書」の4種があったとのこと。機会があれば、「作庭記」以外の作庭書についてもどのような内容であったか、明らかにしていきたいと思います。

いずれにしても「作庭記」は、庭園作りのバイブル的書として、一貫して高い評価を受け、大切に伝えられてきました。だからこそ、広く知られ私たちはその内容に触れることが出来ます。

今回は、「大阪市立大学・中谷セミナー」のネット公開資料をベースとしました。ただ、読み下し文、現代語訳共にかなり難解です。従って、筆者が単に更に分かりやすく訳しなおすと言う事だけでは無く、「誰でも分かる」をテーマに、思いきいた意訳・場合によっては意味は同じだが、部分修正に近い表示を試みました。だからこそ、作庭記現代語訳ではなく「作庭記詳述」と言うタイトルにしました。以上を前提として「作庭記」には何が書かれ、どのような素晴らしさを持つのか、少しでも理解していただければ幸いです。

そこで本日の一口アドバイス。

「庭作りのバイブル・作庭記! その魅力をもっと知ろう!」

(りょう)

                                   『作庭記』(さくていき)

図版:毛起寺 著者:不明 成立年代:不明 写:1289

大阪市立大学・中谷セミナー用「作庭記資料」の冒頭部分

ちょっと、別の話。手話のこと。

I LOVE YOU

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店長の藤田です。

今日は、エクステリアとは全く違うお話を。

ワタクシ、藤田は、いわゆる「エクステリアプランナー」として普段お仕事をしている一方、お休みの日やお仕事明けには「手話の人」として活動しています。

手話の人。。。

具体的に言うと、手話サークルの運営、講習会の講師、企画ゲームなどの立案、たまあに手話通訳、そして自分の運営するサークル以外のサークルでの学習、たまに講師などなど。

実はエクステリアのお仕事でろうのお客様を担当したことも何度もあるんですよ。恐らくなんですが日本で唯一、手話ができるエクステリアプランナーでございます。

よくそんな話をしていると決まってこんな質問を受けます。

「手話って世界共通なの???」

答えはNO!

日本には日本の手話があり、アメリカにはアメリカの手話があります。
手話も言語。当然といえば当然。

なんなら方言もあるし、大阪と京都でも、若い人とお年寄りでも全然違います。

ちなみにこの手話。I LOVE YOU。

小指を立ててI,親指と人差し指をたてて、LOVE、親指と小指をたててYOU!

・・・多分手話辞典には載っていません。おじいちゃんおばあちゃんにしてもなんだこれ??

つまり、若者の手話です。

 

ふれっぷる

 

 

 

 

 

 

 

先日、ワタクシが活動の拠点としている「フレンズ手話サークル」という手話サークルと関西大学の大学の中の手話サークルで合同イベントを行いました。

10代の人から、40代の人まで。全部で80名!!!!

遠くは岡山から。

80人の手話を志す人、そしてろう者が集まりました。

前半は手話を使ったゲーム。

後半は情報保障体験会という学習。

情報保障とは、簡単に言うと、耳が聞こえなかったり、目が見えなかったり・・・と何かしら障害を持った人と健常者が様々なシチュエーションでの情報を等しく共有するため、情報を伝えようということ。

日本では馴染みのない言葉ですが、海外では当たり前のことになっています。

今回は「講義保障体験会」。

情報保障とは何ぞやと僕が簡単に講演し、声での模擬授業を行いろう者が受講し、それを手話通訳と要約筆記(授業の内容をすべて紙に書くこと)を健聴者がやる。

なかなかありそうでない企画だそうです。

フレンズ手話サークルではどうしても学生参加者が多いので定期的にやっている企画なんですけどね。

そんなこんなでものすごい人数の人が集いました。

ではでは、店長の藤田でした。

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